京都が3連覇を飾った今年の全国都道府県対抗女子駅伝(1月14日・京都)。4分の1世紀の歴史を重ねた大会のフィナーレ(最終区間)にふさわしい競り合いで見応えがあった。興味深かったのは、京都と3位兵庫が、監督とコーチ2人のスタッフを総て女性で固めたことだ。佐賀(40位)も同様で、3チームとはいえ、こうした布陣が複数揃ったのは初めて。“女性の進出”が、ようやくコース外にも見られるようになった。 大会初期、総ての関係者を女性がつとめるようになれば、と連盟や地元の人と話をした記憶があるが、多くの人は「理想だが・・・」と気乗り薄だった。 このレースに限らず“男性主体”で進んできた日本のスポーツも、21世紀になって、さすがに新しい風が吹きこみはじめた。 1994年の第1回世界女性スポーツ会議(イングランド)は、あらゆるスポーツ活動における女性への差別を撤廃し、女性が全面的に関われる、とのアピールを行った。会議場所の名を冠せて「ブライトン宣言」と呼ばれ、国内の各スポーツ団体も、その趣旨を充分に承知している。 それでも実際のステップは軽やか、とは言えず、特にコーチングスタッフの女性登用は「理想だが・・・」のままに近い状況が大勢だった。 テレビ中継を通じ関心度の高い「女子駅伝」で、そのパワーが示された効果は大きい。この流れ、広く強まろう。 女子種目の運行を総て女性の手で、とする動きは、国際的にはテニスやホッケーが、かなり以前から“本格化”させているし、国内でも、女子の試合は女性レフェリーで、とするスポーツもしだいに多くなってきた。 歩みの遅さに、女性側のためらいがあったのも否めない。 「指導は男子の先生から受けるもの・・・」と思いこみ(思いこまされ?)自らが、その立場につく夢を描くことがなかった。 最近は、指導力が高く、トークの冴える女性たちに出会うケースも増え、楽しみを感じる。 女性登用、となると、必ず男性側から「不安」がささやかれるが、男性のポジションが今日(こんにち)あるのは、女性関係者のサポートが力になっていたのを忘れてはいけない。女子スポーツを男性が手がける「不安」を女性側は感じていたにも違いないのだ―。 |