日本体育協会は3月22日の評議員会で、寄付行為(規約)から「アマチュア」の語句を総て削除、多くを「スポーツ」と言い換える。 「アマチュア精神」は「スポーツ精神」に、英文略称JASAの最初のAはアマチュアを指すのではなく、JAPANの略だとする。 興味深いのは、日本体育協会は国内アマチュアスポーツの統一組織と謳っていた箇所を「国民スポーツの統一組織・・・」に改める点だ。 これは、単に表現の“変更”だけではすまぬ重みがある。 日本のスポーツ構造は、いわば散乱状態で、しかも、それぞれのテリトリーを自我が取り囲む。 活動が、順風に乗っているのなら、まだいい。 現実は、総ての分野で、新しい視点と新しい力が求められ、「スポーツの自立」が探られている。 その機に、日本体育協会は、自らの目的を「国民スポーツの統一組織」と打ち出したのである。 深刻な局面、とは言わないまでも「国民のためのスポーツ」へ成熟するには、課題は山積みで、なによりも、共通の認識の上に立ってスポーツを振興させようとする体制の整備は、待ったなしだ。『スポーツ界の構造改革』は望まれつづけながら、日本体育協会もリーダーシップをてらず、腰を重くして過ごした。 障害者スポーツ系、プロスポーツ系、レクリエーション系、オリンピックムーブメント系、市民スポーツ系、スポーツ産業系・・・。これらの“世界”を一堂に集め得るパワーは、日本体育協会のみが備えているのではないか。 今回の改定は、その意気ごみを秘めたものとの期待がかかる。 日本体育協会が、競技別のスポーツ団体や都道府県組織を束ねるだけの時代は「アマチュア」の字句との訣別と同じスピードで幕をおろすべきであった。ともに遅れた。 日本体育協会の傘のもとに、各組織が収まるなど、暴論に近いとみる人も少なくないが、これまでのような流れがつづいていては、例えば、スポーツの法制度ひとつ改善の糸口を見つけ出せない。 スポーツ界のリーダーたちの感覚と行動が脱アマチュアとなるテンポも、この際早まって欲しい―。 |