ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本が見事な優勝を飾った。前号で岡崎満義氏も書いているが、勝敗の行方と共に注目を集めたのが、日本代表のリーダー、イチローの「変貌」ぶりである。
これまで、マリナーズにおけるイチローのイメージといえば「修行僧のような孤高の野球人」というものであった。ベンチにあっては寡黙で、滅多に笑顔を見せることはなかった。ヤンキースの松井などとは違い、チームメートと一緒に夕食を食べに行ったという話も聞いたことがない。Yahooの英語版に掲載された記事に、王監督のコメントとして、「イチローは自己中心的だという間違った見方があるようだが」と書かれていたとおりである。
実際のところ、これまでは、チームの和をとりもつ、あるいは日本という国のために野球をする、というところからは最も遠い所にいた選手である。成績の点でははるかに上回っていながら、日本人ファンの間の人気という点で、人の良い、いかにも日本人というヤンキースの松井の後塵を拝していたのは
このあたりにも原因があったと思われる。 それがどうだ。WBCの日本代表チームにあっては、押しも押されぬリーダーとなり、チームメートには檄(げき)を飛ばし、喉がかれるまで声を出し、臨時のミーティングまで開いたという。2次予選の韓国戦で2敗目を喫した時、イチローはダグアウトの外で「吠えた」のだが、これは明らかにアメリカでは放送禁止の4文字言葉であった。それだけ悔しかったのだろう。優勝した後のシャンパンかけにしても、あれほどうれしそうなイチローを見た記憶がない。日本代表の解散に際しては「複雑ですねえ」と正直に漏らすなど、悔しさも喜びも寂しさもストレートに表現し、普段のクールなイメージからは想像できな
いイチローの姿であった。 WBCにかけるイチローの思い入れが時に空回りしているように見えたのも事実だ。2次リーグの韓国戦で観客席ぎりぎりのファウルフライを取り損ね、結局そのバッターが四球を選び、先制点を挙げたシーンがあった。この時のイチローはあたかもフライを捕れなかったのは観客の妨害のせいだと言わんばかりのジェスチャーをしたのだが、ビデオを見る限り、イチローが目測を誤ったというのが事実である。また、2次リーグまで一番を打っていたイチローの
「気迫」はチーム内に浸透していたとは言いがたく、準決勝以降、中軸の3番に据えた王監督の采配は全く見事であった。 そもそも、日本代表に選ばれた当初のコメント、「王監督に恥をかかせる訳にはいかない」というものからして、イチロー的というよりは、いかにも日本的である。日本での壮行試合で、解説者がいみじくも言っていたが、「『義理と人情なんて関係ない』という顔をしていながら、義理と人情に溢れているのがバレバレ」である。「義理と人情」のお手本のような松井が、一見、自己中心的とも思える理由でWBC出場を辞退したのとは好対照である。
一体、何がイチローを「変貌」させたのだろうか。 筆者が思うに、5年間に及ぶアメリカ生活がイチローの「日本人としてのアイデンティティ」に火をつけたのではあるまいか。海外で長く生活した経験があれば誰もが感じることだと思うが、日本以外の地で生活して初めて、自分が日本人であることを実感するのだ。野球選手で言えば、野茂が社会人野球チームのオーナーになり、また、伊良部、マック鈴木と共に日本人選手にチャンスを与える目的でアメリカの独立リーグのオーナーになったり、大家が日本に少
年野球チームを創設し、毎年日本から野球少年を試合に招待したりしている例が挙げられる。 大リーグで活躍しなくとも、アメリカや他の国で生活していると、自分が日本人であることをいやでも意識することが多い。マリナーズのベンチで、「孤高のイチロー」を演じていたのは、言葉の問題もあったに違いない。プライドの高いイチローのことだから、自信のない英語でしゃべるのは本意ではないのだろう。しかし、今回の日本代表でのイチローの変貌は、言葉の問題という瑣末(さまつ)なことだけが原因ではない。イチローももう32歳、ベテランである。はっきりと形にはしていないにしても、「母国としての日本」を意識する年齢になったということかも知れない。
WBCにおけるイチローのリーダーシップは、イチローなりの「日本への恩返し」であったのだ。そう言えば、近頃、野球以外の点で日本のメディアへの露出が多くなったようでもある。新春にはドラマに初出演し、テレビのインタビュー番組で、まだ引っ越してもいない新居を案内したときは、「これだけはしないと思ってたんだけどなあ」と漏らしていた。
日本を意識すると同時に、イチローが「丸くなった」、もしくは「とっつきやすくなった」と言ってもそれほど間違いではなかろう。大リーグのシーズンはもうすぐ始まる。今年はマリナーズのベンチでも変貌したイチローが見られるのだろうか。 |