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vol.339-1(2007年2月15日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
スポーツの取材とは―

 2月9日の<スポーツアドバンテージ>滝口隆司さんの「選手ブログ解禁の是非」を興味深く、かつ、いささか切ない気持ちで読んだ。

 IOC(国際オリンピック委員会)が五輪期間中の選手のブログ(インターネットでの日記風サイト)活動を認めるかどうか、を検討するというニュースに、メディアの立場からこれをどう考えるか、という問題提起である。

 そこからさらに進んで「メディアにとっても、選手のブログには『嫉妬』を感じることが多い。記者会見では何もしゃべらなかったのに、ブログにはこんな面白い話を選手が直接書いている。そんなケースがここ数年、非常に増えてきている」と書き、サッカーの中田英寿の例を上げている。彼は現役引退という重大事を、記者会見でなく、自分のサイトで表明した。「時代の流れといってしまえば、それまでかもしれない。ただ、選手はますますメディアには口を開いてくれなくなるのか、と考えるとやるせない」と、滝口さんは心配している。

 1995年春、ドジャースに入団した野茂英雄投手をインタビューした。大リーグ初勝利をあげた直後、江夏豊さんと2人で、ロサンゼルスと東京をテレビ電話で結んで、画像を見ながら1時間ほどのインタビューだった。

 インタビューの最後に、私は、野茂投手はなぜマスコミ嫌いになったのか、と訊いた。「理由は3つ。喋ってもいないことが、私の発言になることがあまりにも多い。つまり、ウソを書かれる。不勉強な記者が多い。私の投げる試合を1回でもキチンと見てくれていれば、何でもなく分かることをいちいち訊かれる。あまりに初歩的な質問を、それも1人ではなく、次々に何人もからされる。うんざりする。近鉄時代、私の番記者のような人が30人近くいた。そのうち3人ほどの記者は、野球を辞めてからも生涯つきあっていける親友になると思っていた。すっかり信頼していた。ところが、婚約発表のときはみんなの前で公平にするつもりだったが、信頼していた1人がその前にすっぱ抜いてしまった。マスコミの人を信じられなくなった」ということで、以後、野茂投手は貝のように口を閉ざすことが多くなった、という。

 取材する側からすれば、ときには野茂投手の言葉にならない深い思い、微妙な感覚を表現してみたい、という誘惑にかられる。しかし、そこに到達するには、常日頃からたえず現場に足を運び、しっかり観察することが前提条件だ。

 もうひとつのブログ。これも厄介な問題だ。中田選手も多分、野茂投手のような経験があって、マスコミ拒否、私のことは私の書く電子日記を見てほしい、となったのだろう。私のことは私がいちばんよく分かる。他人にウソを書かれたくないから、自分で書く。それが本当の私だと思って読んでほしい、というわけだろう。

 その考えに異を唱えるつもりはない。しかし、取材というのは、記者と取材される人と読者、という情報トライアングルの内側で成り立つことである。取材者と取材対象、という二者ではない。いちばん大事な、その場には見えない読者(ファン)の存在を忘れてはならない。この三者が信頼の糸で結ばれていなければ、真の取材は成り立たない。

 スポーツはかけがえのない公共財である。アスリートの「私」だけでは成り立たない。みんなで大事に守り、磨き、伝えていかなければならない宝物である。単なる報道ではない。取材者にはその自覚が必要だろう。中田選手には、「私」だけで円環を閉じないでほしい、と言いたい。公共財は私だけでなく、いつも他人の目を必要とする。アスリートと取材者と見る人とで形づくる三角形の広々としたスペースの中に、スポーツをいつも位置づけておきたい。

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