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vol.497-1(2010年7月20日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

豊かな個性を楽しんだ

 W杯南アフリカ大会で印象的だったのは、上位に進んだチームの豊かな個性だった。専門家の見方はまた違うのかもしれないが、ファンの目から見ると、際立って個性的なチームが目立ったように思える。

 W杯には国民性が表れるとよく言われていた。確かにそうだろうが、いまはもうそれだけではない。そこに、指導者たちの想像力やアイデア、戦略・戦術の進化、新たな感性を持ったタレントの登場など、実にさまざまな要素が加わって、もっと複雑で奥深い個性が生まれるのだ。

 たとえばドイツ、たとえばウルグアイだ。ドイツはかつての「剛」のイメージをかなり変えて、速くて美しい、魅力あふれる攻撃を見せてくれた。ただの堅守速攻ではなく、相手の力を余裕たっぷりに受け止めておいて、必殺の技を一閃させるような鮮やかさがあった。ヨアヒム・レーウ監督をはじめとする代表スタッフの、過去にとらわれない新鮮な情熱や、移民をルーツとする選手たちのこれまでにないセンスの注入などが、この新たな個性をつくり上げたのだろう。

 一方、ウルグアイは南米ならではの香りを濃厚に感じさせるチームだった。持っている戦力で勝ち抜いていくにはどうすればいいのか、相手に主導権を渡さないようにするには何が必要なのか。そうしたことが選手一人一人の身にしみ込んでいるような感じがしたものだ。その象徴が、点を取りにいくという大仕事を一身に背負っていたディエゴ・フォルランだろう。もちろんルイス・スアレスというすぐれたストライカーもいたのだが、常にゴールへの最良最短の道を選択し続けていたフォルランあっての準決勝進出だったのは間違いない。ウルグアイという国の文化や雰囲気までも連想させる、なんとも個性的な選手たちであり、チームであった。

 優勝したスペインの個性の豊かさ、際立った独自性は、もちろん言うまでもない。きわめて精度の高いパスの積み重ね。まったく揺るがない方向性。それらが溶け合った精緻な組み立ては、現代サッカーのひとつの究極さえ感じさせるものだった。このほかにも、積極的な攻めに徹して迷わなかったチリや、最後の最後まで全体の姿勢が崩れないアメリカなども、魅力たっぷりの個性を持つチームとして忘れがたい。

 そうした中では、スーパースターを擁してはいても、チームとしての個性、方向性がはっきり確立されていなかった国は勝ち進めなかった。代表的な例がアルゼンチンだろう。リオネル・メッシという最高の切り札を持ち、そのほかも高い能力を持つスター軍団で固めていたのに、ベスト8進出にとどまらざるを得なかった。ベスト16で消えたイングランドにもその傾向があったように思える。

 国民性という特色はいまでもあるに違いない。その一方で、大陸間の選手、指導者の頻繁な行き来や情報の共有などによって、どこの国のサッカーも同じような形になってきつつある。だが、いずれにしろそれらだけでは足りない。その上に、さらに独自の魅力的な個性をつけ加えられるかどうかで、W杯の勝負は決まっていくのだろう。といって、今回上位に入ったチームも、そのまま同じ場所にとどまっていれば、4年後はもう勝てないかもしれない。現代のサッカーはそれだけの速度で進化し続けているというわけだ。

 では、日本代表はどうだったかといえば、もちろん讃えられるべき健闘ではあったものの、個性的という印象はさほど残さなかったように思う。よくまとまったチームにはなっていたが、日本ならではの際立つ特色までは持っていなかったということだ。いずれ、見る者を魅了するような個性を発揮するようになった時こそ、歴史がつくられることになるのだろう。次の進化の段階を楽しみにしたい。

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