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vol.504-1(2010年9月27日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「勝ちが見えると・・・」

 勝ちが見えると人間は愚かになる。ちょっと大げさな表現ではあるが、そのシーンを見ていてそんなことをあらためて感じた。ボクシングのWBC世界スーパーフライ級、王座決定戦の最終ラウンドである。

 世界1位と2位の対戦。試合は2位のトマス・ロハスが、2度目の世界挑戦だった1位の河野公平を圧倒する展開だった。身長で6センチ、リーチでも3センチ以上上回るメキシコのテクニシャンが、河野の突進を軽々とかわして、的確かつ多彩なパンチを打ち込み続けたのである。11回まで2人のジャッジが7ポイント差、もう1人に至ってはロハスにフルマークをつけるというスコアからみても、いかに一方的な戦いだったかがわかる。

 最終12回もロハスは余裕たっぷりだった。十分に余力を残しているように見えた。ただ、TV中継のレポーターが伝えたロハス陣営の指示にはいささか疑問を感じた。「さばいていけ」という内容で、攻めに関する指示はほとんどなかったというのである。

 判定勝ちは確実だから、無理せず安全に最後の3分をこなせという意味だったのだろうか。「さばく」というのは、いかにも日本的な表現で、スペイン語の実際のニュアンスとはちょっと違っていたかもしれない。とはいえ、そこに「もう勝つのは間違いない。あとは適当にあしらっておけ」との趣旨が見え隠れしていたのは否定できないように思う。

 「おいおい、そんなこと言っていいのかい」と思わずにはいられなかった。いくら優勢であろうと、真剣勝負の場で、それも世界戦の大詰めという大事な局面で、軽くさばいて終わろうなどという安易な考えは、最も避けるべきではないか。最後まで攻守のバランスを保ち、しっかりと攻め切ることこそが、本当に安全な道ではないのか。
 疑問はすぐに現実となった。倒すしかない河野はとにかく前に出てパンチを振るう。対するロハスはといえば、あまり手数を出さずに、下がりながら強引な突進を避けようとしていた。いわゆる「手先でかわそうとする」構えだ。案の定、スキが生まれた。攻め込んでいった河野の右フックがあごをとらえる。ロハスの目がうつろになり、腰が落ちた。追い打ちにたまらずダウン。大逆転の期待に場内が震えた。

 かろうじて立ったロハス。追う河野。ダウンのダメージは大きい。ロハスもパンチを出したが、もう余裕はかけらもない。ガードも下がっている。やっとの思いで逃げ切り、最終のゴングを聞いたが、あと一発入っていれば、今度は立てなかったろう。フィニッシュされなかったのは僥倖だったと言ってもいい。結果は大差の判定勝ちだったものの、これは今後のファイトにも深刻なトラウマとなって残るかもしれない。

 それにしても、絵に描いたようなシーンだった。もう勝ったも同然という油断。相手を軽くあしらえばいいというおごり。そして何より、無理せず楽に終えようという消極的な姿勢。それが、あと一歩で奈落の底へ真っ逆さまというピンチに直結したのだ。ボクシング王国で百戦錬磨の経験を積んできたベテランとその陣営でさえも、勝利や栄光が目の前に迫ると、こんなふうになってしまうのである。

 もちろん、場合によってはこういうこともあり得るとは、ロハス陣営も心得ていたに違いない。なのに、わかっていても、まるで魅入られたように避けるべき方へ、安易な方向へと進んでしまう。これもまた、勝負というものの奥深さの表れなのだろう。

 振り返ってみれば、そんな例はしばしば見かける。ボクシングや柔道といった一対一の格闘技ではことに、勝てると思って守りに入ると、極端に流れが変わってしまうことが少なくない。サッカーなどのチームゲームでよく見るのも、強敵相手にせっかく得点したのに、引いて守ってむざむざ逆転を許してしまうケースだ。攻めてこそ出てくるリズムが、守りの姿勢になった途端に消えてしまうのである。

 勝ちを意識してはいけない。守りに入ってはいけない。楽に勝とうと思ってはいけない。勝負では最後まで何が起きるかわからない――。スポーツの世界でさんざん言い古されてきたことは、だが、いまも永遠の課題であるようだ。

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