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vol.475-1(2010年1月15日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

「新聞というコーチ」がいた時代

 14日付の日経新聞朝刊スポーツ面に掲載されたコラムが、われわれ運動部の中でかなりの話題になった。筆者は野球評論家、元西鉄の強打者で知られる豊田泰光さんである。「新聞というコーチ」。その見出しに目を奪われ、みんなで回し読みしたほどだ。

 「野球記事に限らず、新聞が選手の言い分をそのまま載っけるようなコラムばかりになってきたような気がする。取材する側、取材される側の間の緊張感が伝わってこない。業界の内輪話ではあるが、そういう記事はこそばゆいばかりでなく、選手を育てるという益もないから困る」

 そう切り出した豊田さんは、昔の記事を振り返り、「今の記事のように選手の裏話を盛り込むわけではないから、淡々としている。しかし、その寸評は相当の見識があって成り立つものだった」と書く。当時の記者には「三振してベンチに帰る時の格好がなっていない」とか「その態度を子どもにみせられるか」などと書かれたそうだ。豊田さんは「新聞の1行が監督、コーチの一言よりこたえた」という。

 豊田さんは気さくな人で、記者席でも若い記者に気軽に声を掛けてくれる。他の評論家に比べても、我々との距離が近い気がする存在だ。だからこそ、今の新聞記者のふがいなさや記事の薄っぺらさが目に余るのだろう。

 私たちも気がついている。どこの社でも、記者の専門性が薄れていき、ただ試合を見て、試合後に聞いた選手の話をつなげて原稿を書いていることに危機感を覚えている。自分たちが書く原稿に手応えがなく、選手や読者からの反応が少ないことも気になっている。

 どうしたらいいのだろうか。Jリーグ発足でサッカー人気が高まり、米大リーグに行く日本人選手が増えた90年代以降、カバーするスポーツは増え、紙面も広がった。複数競技を掛け持ちする記者は多くなり、昔のように、一人の記者が同じ分野を取材し続けていることは難しくなった。しょっちゅう、担当記者が入れ替わり、当然だが、プロ選手のプレーを批判できるような専門記者も減ってきたのだ。記事に個性がなくなり、似たり寄ったりの記事が増える。今の日本のスポーツジャーナリズムが抱える大きな問題だと思う。

 NHKの「クローズアップ現代」が「変わる巨大メディア・新聞」と題した特集を組んでいた。インターネットで記事を読む人が加速度的に増えて新聞社の経営は危なくなり、米国では昨年だけで約50紙が廃刊に追い込まれたという。記者のリストラは進み、権力の監視などの公共性が失われる危機が進んでいる、という内容だった。

 ネット時代のメディア経営というビジネスの問題は横に置くが、少なくとも、各新聞が独自の個性を持った記事を発信し続けなければ、多様な新聞の存続は困難な時代に入ったといえるだろう。それは全国紙もスポーツ紙も地方紙も同じではないか。 

 コラムの最後は「新聞は説教の道具ではないが、朝起きて楽しみ半分、怖さ半分で開いてみるくらいが選手にはほどよいのではないか」と結ばれている。“コーチ”となりうる新聞記者がどれだけ育つか、記者が専門性をいかに持ちうるか。その最大の課題を豊田さんは指摘してくれている。

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