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vol.477-1(2010年2月5日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

相撲の生き残る道は「教育」しかない

 貴乃花親方の一門離脱による日本相撲協会理事選への立候補・当選、貴乃花親方に投票した立浪一門・安治川親方の退職表明と撤回、そして初場所中に暴行問題を起こした横綱朝青龍の引退と、相撲界は大きく揺れ続けた。これら一連の騒動から学ぶ教訓があるとすれば、何だろうか。私は「教育」に尽きるのではないか、という気がする。

 朝青龍の行動をコントロールできなかった師匠の高砂親方の教育責任が批判され続けてきた。だが、これは氷山の一角に過ぎない。親方衆はコネを通じてモンゴルやロシア、グルジア、エストニアなど各国の情報を仕入れ、自分の部屋を担ってくれる「強い力士」を探している。日本でそんな簡単に逸材が見つかる時代ではなくなったからだ。

 関取がいるかどうかによって部屋の収入は大きく変わってくるのだから、当然かも知れない。「力士を育てる」というよりも「勝つ力士をスカウトする」が重要になっている。そして、文化の違う世界に飛び込んだ外国人力士がトラブルを起こす。朝青龍だけではなく、大麻事件を起こしたロシア人力士などもその一例だろう。もちろん、外国人力士だけの問題ではない。「教育」の価値観がゆがんだ相撲部屋では「かわいがり」という暴力、いじめがはびこっていた。

 新理事として相撲教習所長に就任した貴乃花親方は、まだ会見など公式の場で自分なりの「改革論」を披露していないが、聞くところ、小中学校での相撲の普及に力を入れたいと考えているそうだ。もはや相撲部屋だけの問題ではないという危機感があるのだろう。底辺への普及と教育は将来の相撲界の盛衰を左右するはずだ。

 2010年度から中学校1、2年生の保健体育の授業で武道が必修化される。その中には相撲も含まれているのだが、実際に大半の学校で実施されそうなのは柔道と剣道だ。この2競技以外は、指導できる教員の不足が大きな障壁となっている。

 武道としての相撲には教育価値が備わっていると思う。なぜ戦う前の力士は蹲踞(そんきょ)の姿勢で両手を広げて手のひらを返すのか。それは自分が何も持たず、正々堂々と戦うということを意味する。そんな所作の一つ一つに大昔から伝わってきた「国技」としての伝統がある。

 元力士は全国にいるが、引退後、相撲の指導に関わっている人は多くはないだろう。そんな人たちを外部指導者として活用する「人材バンク」のようなものがあってもいい。また、現役力士であっても引退後のセカンドキャリアを考えて、通信教育で高校を卒業したり、大学で教員免許を取得できるシステムを日本相撲協会が整備してあげれば、教員として相撲を広められる。

 相撲協会の役員たちが口癖のように言ってきたのは「土俵の充実」だ。だが、国技館の土俵を充実させるためには、小学校の砂場に円を描くことから始めないといけないのではないか。

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