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vol.486-1(2010年4月9日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

織田幹雄さんからのメッセージ

 自宅に一冊の英文冊子が送られてきた。タイトルは「Mikio Oda」。1928年アムステルダム五輪の陸上三段跳で日本人初の金メダルを獲得した織田幹雄さん(1905-1998)の晩年に、元朝日新聞のジャーナリスト、中条一雄さんがインタビューした内容を英訳したものだった。

 差出人は織田さんの息子である正雄さん=神奈川県藤沢市在住=。添えられた手紙には「父織田幹雄がなくなりましてから今年は13回忌を迎えます。幹雄の発言には外国のスポーツ関係者、特にオリンピック関係者にも読んで欲しい内容が含まれていましたので、このたび主要な部分を英語に直してみました」と書かれていた。

 記事を読んでみる。自らが金メダルを獲得した時代と今とを比べ、織田さんはアスリートを取り巻く環境をこう評している。
 「今日の競技者は悲惨だ。人々やマスメディアに常に注目されていて、商業主義の道具としてテレビに利用される。競技団体も彼らを広告塔として使う。競技者の人格は無視されている。競技者は強くならなければならない。さもなければ、自分自身を見失う。これがスポーツにとって幸福なのか、私は疑わしいことだと思っている」

 アムステルダム五輪の後は、現役を続けながら朝日新聞の記者として健筆をふるい、引退後は早大教授になる一方、日本陸連や国際陸連の役員を務めた。特に、競技団体の要職にいた頃はスポーツ界が大きく動いた時代だっただけに、語るべきことは多かったようだ。
 興味深いのは1980年モスクワ五輪のボイコットに対する織田さんの見方である。

 「私は当初から反対していた。理由は簡単だ。オリンピックにおいて、ボイコットなどあってはならない。これは基本原理だ。我々は建設的な会合を持つべきだった。一つの解決策として、世界情勢をみながら開催を1年遅らせても良かった。最も大切なことは、すべての国家が参加できるようにすることであり、いくつかの国を選ぶことではない。政府との関係で難しい状況に置かれているチームに対し、IOC(国際オリンピック委員会)は手助けすべきであった」
 織田さんの言葉は世界の人々が参加してこそ意味がある、という信念に貫かれている。
 「人々はオリンピックは平和運動だという。しかし、実際には何もなされていない。人々は、世界各国から若者が集まって競う大会は平和のためになるという。しかし、負けた選手は翌日には帰国してしまう。これで本当の平和運動ができるだろうか。私が心に抱き続けている切なる願いとは、大会が終わった後、勝者も敗者も集まってパーティーを開くことだ。すべてのアスリートが一堂に介して言葉を交わすことだ」

 今年は、あのモスクワ五輪ボイコットから30年となる節目の年である。われわれ毎日新聞の紙面でも連載を始めているが、当時のアスリートからは「『モスクワ』が風化している」「教訓として残されていない」と、今の日本のスポーツ状況に疑問を投げかける声が出ている。スポーツ界も混迷の時代だ。織田さんのインタビューも読みながら、過去に学ぶことは多いと痛感する。

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