スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ

vol.495-1(2010年7月2日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

「よくやったニッポン」でいいのか

 各紙を眺めながら、違和感を覚えずにいられなかった。PK戦でパラグアイに敗れた日本代表に対し、新聞が伝えているのは「よくやったニッポン」の連呼である。そんな時、痛烈なスポーツジャーナリズム批判に出くわした。

 フリーランスの政治ジャーナリスト、上杉隆氏がインターネットのコラム(「週刊上杉隆」)でこのパラグアイ戦の報道を次のように論じている。タイトルは「ワールドカップ敗退で歓喜している国に、ベスト4など永遠に無理な話だ」である。

 「結果はベスト16であった。善戦したとはいうものの、自ら目指した目標に到達しえなかったのは間違いない。それならば、なぜそうした結果に終わってしまったのか、という点をサッカージャーナリズムは分析しないのか。一般のファンならば仕方がない。しかし、まがりなりにもメディアの人間であるならば、そしてサッカーを取材している者であるのならば、ファンと一緒にお礼をしていないで、自らのやるべき仕事をきちんとこなすべきである」

 私は深夜のパラグアイ戦が明けた翌日の夕刊番デスクだった。編集局内の雰囲気だけでなく、テレビも、他紙も一様に「よく健闘した。感動をありがとう」の論調だった。「駒野泣くな」「サムライよ 胸を張れ」といった内容の情緒的な見出しが並んだ。私はせめて運動面だけでも冷静な見出しに出来ないものか、と編集者に訴えたが、何も変わらずじまいだった。

 五輪の時にも思うことだが、いったんメディアの「スイッチ」が入ってしまうと興奮と熱狂の盛り上げに制御がきかなくなる。今回はカメルーン戦の勝利でその「スイッチ」が入り、大会前の批判など忘れて一斉に「手のひら返し」をやってしまった。今回の報道を批判されても、私には反論の言葉が見つからない。

 上杉さんの言うように、一般のファンが興奮し、熱狂するのは当然かも知れない。普段はスポーツと無縁なメディアの人たちがファン感覚で煽るのにも、心外ながら目をつむろう。だが、そんな中にあっても専門家であるべきスポーツ記者は冷静な視点を失ってはいけない。それが「やるべき仕事」だ。

 かつてアメリカのコラムニスト、ピート・ハミルが著書「新聞ジャーナリズム」(武田徹訳、日経BP社)でこんなことを書いていた。

 「新聞記事の中には、読者を涙がこぼれるほど笑わせるように、面白おかしく書かれたものもあるが、新聞本来の使命は、熱狂や夢を読者に与えるものではない。ラテン的な、楽しくなくては人生の意味がないと考える人々が暮らす国でも、新聞は一般市民に真実を伝えるために存在した」

 ハミルの言葉と比較すれば、われわれメディアは「熱狂」「夢」「感動」を安っぽく叫び、自分たちも明らかに興奮している。確かに戦術論の報道がないわけではない。だが、余りにも細部に入り込んでしまい、日本サッカーが世界の潮流の中でどういう位置にあるのか、大局的な視点が少ない気がする。

 帰国会見は、闘莉王のものまねをする今野と、南アフリカの歌まねをする森本の"パフォーマンス"で笑いの中、締めくくられた。アットホームなチームの雰囲気を伝えたかったのだろうが、負けて帰ってきた日本代表の会見としては場違いに思えた。それを「結束力、チームワーク」と好意的に取り上げるテレビ映像。スポーツジャーナリズムの使命とは何か、と考え込まざるを得ない。

筆者プロフィール
滝口氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件