ワールドカップの期間中(正確には開幕1週間前から)、連日横浜に設けられた国際メディアセンター(IMC)で「国際サッカー連盟(FIFA)記者会見」を傍聴する機会に恵まれた。
大掛かりな国際スポーツイベントの度にうならされるのは、主催者(国際連盟)側のメディアへの対応の巧さである。 今回は、毎日1時間、日韓の会見場を映像、音声で結び、どちらからでも自由に発言できる仕組みだったが、大会の前半はソウル、後半は横浜に移って、この会議を1人で捌き切った広報責任者(キース・クーパー氏・イングランド)のチェアワークが、鮮やかな冴えを見せた。
両会場それぞれ少なくとも30〜40人のジャーナリストが集まり、質問の中身は、多岐にわたる。 時に、「それは専門家でなければ…」と答えをそらし、「ノーコメント」ととぼけるシーンもあるが、たいていは、彼によって“回答”が返される。当然、それはFIFAの“回答”でもある。
日本のスポーツ団体の記者会見はここまでの水準には達していない。広報責任者は司会役が多く、回答者が2人も、3人も並ぶ。司会役は、いかに答えに窮するシーンを逃れ、定められた時間を早目に打ち切れれば、と時計ばかり気にする。
しかも、居並ぶ回答者の発言は、形にはまりすぎ、わざわざ顔を並べる必要はない、と思わされることがしばしばだ。敏腕の広報責任者なら、1人でこなせる質であり、量である。
FIFAをはじめ、国際スポーツ連盟の広報関係者が司会役に廻るのは、特定のテーマに絞られ、エキスパートあるいは専門の担当者でなければ、と思われた時に限られる。
今回では、チケッティング、ドーピング、レフェリングの3度、このケースがあったが、これらのテーマは毎日のように問い返される。その時は広報責任者自身が応対する。
なぜ、これだけの万能ぶりを発揮できるのか。 当人の情報収力、適切な問題意義の把握、有力紙・誌を読みこなすスタミナと反論を築ける経験などによるところが大きいが、大会の総てのできごとが、彼の手元に伝わる仕組みを見逃せない。情報、資料源は広報部門に限らない。FIFA全員が広報へ集中するのだ。このネットワークがなければ、気ままで高姿勢な質問者の群れに、立ち向かうことはできないのである。
日本のスポーツ団体も、メディア対応、広報に力を入れているが、FIFA、IOC、各国際連盟の動きには、足もとも及ばない。日本オリンピック委員会(JOC)の広報責任者をつとめたことのある友人は、「何か起きたら、まず広報へ」という姿勢がまったくない、と嘆いたものだ。しかも、リサーチャーを含んだスタッフの数は削られ、広報は1人で充分との“軽さ”が改められない。
メディアの理解を得られるシステムづくりは、現代スポーツの流れの中では、強い代表チーム作りと同じぐらいの重要さがある。 日本スポーツは、あらゆる場面で、国際水準にはまだまだ、と言ってよい。
几帳面さだけが“売り”の運営力に満足している時代ではなかろう。 |