Jリーグ創立当時から参加していた、柏レイソルがついに、初めてJ2の2部に転落した。昨年から危機だったのに、「何とかなる」甘えの気持ちが破滅につながった。こうなる背景は突然始まったことではない。 フロント、現場の連携、一体感がなく、組織として機能していなかった。転落のきっかけは2001年シーズン途中の西野朗監督の解任から始まった。当時のチーム運営責任者、久米一正氏(現・清水)が「あれは失敗だった」と反省しているように、契約条件、感情のもつれにより、西野を突き放してから、ペリマン、池谷、マルコ、池谷、早野と、めまぐるしく監督を代えても、うまく機能しなかった。 西野は退団したあとガンバへ単身就任し、今季、初のリーグ優勝へ花開いた。西野個人にとって、転身は飛躍へのジャンプ台になったから良かったが、柏は西野追放から、新たな道を見つけられなかったのは悲劇だ。 久米GMは相次ぐ失敗で、自ら身を引かざるを得なくなり、1997年から2003年まで、チーム構築の中心だった、小林正三郎社長が交代すると、それまでのことを、すべて否定する革新が始まった。 小林氏が「何であれほど破壊するのか?」といぶかるほど、新社長の小野寺重之氏は、新たな路線へ、歩み出した。だが、これが、ことごとく成功しない。周囲のだれも、社長に進言できない。討議も重ねないまま、危機は迫ってきた。 再建役には不向き、と言われていた、早野監督は、昨年の転落一歩前で、今季は交代、と言われていたのに続投。重大ピンチになってラモス・コーチを入れる2頭政治に至っては論外の沙汰。選手は戸惑い、チームの躍動感はなくなった。 2部落ちで目覚めるかどうか。1年で復帰するのは、簡単ではない。これまでの転落チームに共通しているのは、「2部なら」という甘く見る気持ちで、プレーがおろそかになり、気がつけば、2部に染まってしまうことである。
組織全体が一体にならない限り、柏の再建は難しいだろう。柏の転落はクラブ運営がいかに大事か、の教訓を残した。 |