年が改まると、新聞の署名入り連載コラムの筆者の顔ぶれが、がらりと変わることが多い。東京新聞夕刊の名物コラム「放射線」も、6人の筆者が変わった。このコラムは曜日変わりで、土曜日の担当が、かつて女子バスケットボールで活躍した萩原美樹子さんになった。これがすこぶる面白い。700字程度で読ませる文章を書くのは、至難のワザだ。それができている。
まだ3回しか登場していないが、センスのよさとメリハリの利いた、背筋がピンと伸びた文章はまことに気持ちがよい。1回目の「煩わしい視線」は、日本人にしては高すぎる身長178センチの萩原さんをジロジロ見る街行く人々の視線について「痴漢ならぬ『視漢』のその視線の先に、私がどうにも感じてしまうのは、画一的な既成価値観と『あの人間は“普通”とは違う』というどこか排他的な、蔑視にも似た色だ」と書いた。そのての視線に対して、彼女はスックと毅然として立っている。
第2回目は「私、愛しているの」。米女子プロリーグでプレーしていたころの話だ。チームメイトに「あなたはなぜバスケットをするの?」と訊くと「お金のため、生活のためよ」「ひどい生活をしてきたから、才能が与えられているなら、もっとお金を稼ぐんだ」「苦労してきた母のために、家を建ててる最中なの」と答えが返ってきた。そして「あなたは生活に困った経験が無いから、ダメなんじゃないの」と言われた。
萩原さんは「『私のバスケットがした』という内発的な動機は、彼女の明確な外発的な動機に劣るのだろうか」と思い、そんなことはない、と証明するためには少しでも多く試合に出ることだ、と個人練習の時間をそれまでの数倍に増やした。
結果は―故障者リスト入りとなり、結局日本に帰国してのプレー継続となった。今、振り返ってみると、「動機を探して練習をムリヤリ増やした私の方が、むしろ外側からの動機に動かされていたのかもしれない」と思い、そういえば、確かに彼女たちは、 生活の話をした後必ず、「それに私、バスケットを愛しているの」と付け加えていたことを思い出す、「当時の私にはとてもいえなかった」。彼女たちは「こんな内発的動機にうらうちされていたのだろう」と反省する。
こういう反省の仕方に、萩原さんのやわらかい感性を感じる。そして、彼女の弱さではなく、芯の強さも感じる。 3回目はスポーツの話から一転して、街中の喫茶店での話。どこにでもあるようなチェーン店の喫茶店が好きで、荻原さんはよく入る。聞くとはなしに、まわりの人たちの話を聞いていると、さまざまな人生の断面を垣間見る思いになる。
「人間の営みはオモロいなあ。人って愛しいなあ。立ち寄った人それぞれの苦楽が、ほんの一瞬リンクする喫茶店。私は、ときに周りに調和し、時に流れから弾き出される。生まれ変わったら、日当たりのいい喫茶店の椅子になるのもいいな」
こういう文章が書ける人は素晴らしい。「喫茶店の椅子になるのもいいな」―こういう感性に出会うと、こちらまで心が温かくなる思いだ。 萩原さんの文章にお目にかかるのは初めてだ。萩原さんを連載コラムに登用した担当者は、それまで彼女の文章をどこかで見つけて読んでいたのだろうか。たとえあったとしても、ごくわずかだろうから、彼女のセンス、文章力を見抜いた眼力には敬服する。
今、萩原美樹子という素晴らしいスポーツ系のコラムニストが誕生しつつあるのではないか。その瞬間に立ち合っている感じ。ポッポッと湯気が立っているような、生まれたばかりの、ういういしい赤ん坊を見ているような新鮮な気持ちである。
毎週土曜日の楽しみがふえた。 |