昨年出版された「古河電工サッカー部史―日本サッカー界の礎を築いた人たち」を読んだ。1933年(昭和8年)に同好会として発足、Jリーグのジェフ市原へ発展するまでの古河電工サッカー部の歩みをまとめたものだ。123ページにわたる全試合データもついている。読み物としては「古河電工サッカー部史」というタイトルからも分かるように、ごく地味な仕上がりで、もう一工夫ほしいところだが、あくまでサッカー部の歴史を残すことを目的に作られた自費出版であることを考えると、貴重な刊行物だといっていい。
サッカー評論家・大住良之さんの特別寄稿「日本のサッカーとスポーツ史のなかに残した巨大な足跡」がよくまとまっていて、これを読むだけでも、古河電工サッカー部の残した遺産がどんなに大きいものだったか、よく分かる。
サッカーの知識に乏しい私でも知っているサッカー会の重鎮、長沼健、平木隆三、八重樫茂生、川淵三郎、鎌田光夫、清雲栄純、小倉純二・・・・・・など古河OB28人の寄稿で出来上がった本である。
「サッカーを社技のひとつにしよう」と考えた小泉幸久社長の存在が大きい。そしてサッカー部強化のために採用された社員第1号・長沼健さんは「サッカー選手はいい。次の年も採用しようといわれるために、仕事もがんばらなければならなかった」と語っている。よき時代の企業スポーツの姿が、クッキリと浮かび上がる。高度成長期の企業の右肩上がりの発展が、企業スポーツを押し上げたのに違いないが、スポーツにも理解のあるよき社長、よき部長、よき選手というすぐれた人材ネットワークがあったからこその成果である。
日本経済の高度成長は世界史の奇跡、といわれたことがある。ドゴール仏大統領に「トランジスタのセールスマン」と、当時の池田勇人首相が皮肉られたり、「日本人はエコノミックアニマルだ」と、軽蔑されもしたが、高度成長は企業スポーツという特独のスポーツ文化を生み出したのも事実である。
今、企業スポーツはどんどん消えている。苦境に立たされている。こんなときだからこそ、企業スポーツに関わった人たちに、その歴史を書きとめておいて欲しいと思う。企業スポーツはお金がなければやっていけない。しかし、お金があればやれる、というものでもない。
「古河電工サッカー部史」を読んで思ったのは、「徳は孤ならず、必ず隣あり」という論語の中にある古い言葉だ。徳のある人は孤立しない。必ずその人の立場に共鳴し、助けよう、手をつなごうという人が現れる、というほどの意味である。企業スポーツも、人の要素が大きい。そのあたりのことを、今のうちに書き残してもらいたいと思う。
企業だけでスポーツが成り立たなくなってきた。これからは地域スポーツだ、といわれる。その流れは変わらないと思うが、日本が育てた貴重な企業スポーツのエッセンスは、地域スポーツの中にもなお生かすことができるのではないか。学校、企業、地域をどう組み合わせていくか。企業スポーツの中には、そのための大切な知恵がたくさんあるはずだ。スポーツはどのような形になろうと、どのように発展しようと、キメ手は「人間」なのだから。戦後日本が生んだ貴重な企業スポーツのエッセンスに、光をあてる作業を、それぞれの企業、OBでつづけてほしい。 |