オセアニア・サッカー連盟(OFC、1966年創立)からオーストラリアが脱退し、アジア・サッカー連盟(AFC、1954年創立)のメンバーになることを強く望んでいる、という。 すでに、OFCは、オーストラリアの意向を受け入れ、国際サッカー連盟(FIFA、1904年創立)も、今秋の総会で認める可能性が濃い、とされる。 オーストラリアで「フットボール」と言えばラグビー、それにこの国独得のオージー・ボールが“代表格”だ。 サッカーも1961年に組織化され、74年にはワールドカップに初出場しているが、そのあと低迷、FIFAも「大陸の実力」をなかなか認めてくれない。つねに、他大陸代表とのプレーオフを強いられる(06年大会は南米5位との対戦)。 それならば、実力が高く人気のあるアジアへの転出をと考えたのである。 外電によると、1891年からの歴史を持つニュージーランドも同じ方向を探っているようで、OFCはクック諸島、ソロモン諸島、パプアニューギニアなど10足らずの島国だけになってしまう。それでいいのか、との疑問も残る。 AFCとOFCが合体し、アジアの地域を東・西に分けたらとのアイディアも聞こえるが、そのほうが好ましくないか。 サッカーに限らずアジア・スポーツ界は、旧ソ連の中央アジア諸国を含んだことで、所轄の地域が広大になりすぎた。 もともと極東とオリエントの文化の違いは、さまざまな競技会で運営の行き違いや混乱を招いている。 中東勢が手をとりあい、露骨なホーム・アドバンテージを生むようなケースも少なくない。 オーストラリア・サッカーの今回の要望とこれらの状況は性格を異にするものの、スポーツにおける地域の組み替え、とりわけアジアは、国際的に再考されていい。 今でもアジアでは、4年にいちどのアジア大会のほか、地域、競技レベルなどをベースに59年からの「南東(SEAゲームス)」をはじめ、84年からの「南」、93年からの「東」、95年からの「中央」、97年からの「西」と5つもの地域大会(エーシアン・リージョナル・ゲームズ)が開かれ、そのほかに、アラブ系の大会への参加も見られる。 『アジアは1つ』。いい言葉だが、スポーツの世界では「1つ」の難しさが生じているのも事実である―。 |