私の戦後史のメルクマール(指標)は、1959年(昭和34年)の長嶋茂雄天覧試合サヨナラ・ホームラン、1974年(昭和49年)長嶋引退、2004年(平成16年)長嶋脳梗塞で倒れる、である。時代が大きく動いたとき、そこに必ず長嶋茂雄あり、というのが、私の実感、考え方である。 2004年はさらに印象深い出来事があった。皇太子の「雅子のキャリアやそれにもとづく人格を否定するような動きがあった」という衝撃発言、イチローの年間262安打のメジャー新記録、そしてホリエモンの近鉄買収騒ぎ、である。 このとき、私はホリエモンこと堀江貴文ライブドア社長の、ふてぶてしく、あっけらかんとした猪突猛進ぶり、きついことを言ってもどこか憎めない小肥りのタンクタンクロー(阪本牙城著
ロボット漫画)のような存在をはじめて知った。 野球の世界では数年前からイチロー、松井、新庄など団塊ジュニア世代が日本を飛び出しグローバルに活躍しはじめた。そろそろ、他のジャンルでもこの世代が水面に顔を出してくるのではないか、と思っていたところにホリエモンである。彼は新庄と同じく1972年生まれ、(ちなみにイチローは1973年、松井は1974年生まれ)ついに出てきたか、と思った。その後、何冊かホリエモン本を買って読んでみた。 速成本だから少々荒っぽいつくりだが、読後感は悪くなかった。「心も金で買える」「金で買えないものはない」などという言い方がひんしゅくを買ったが、なに、拝金主義はわれら戦後日本人のバックボーンなのだから、それをミもフタもなく言っただけのこと、あまり気にはならなかった。“老害”というコンクリートでかためられた社会の壁は、これくらいのあっけらかんドリルでたちむかわなければ、風穴ひとつあけられないかもしれない、と思ったりした。 昨年3月31日付東京新聞夕刊コラム「大波小波」は、「空白の1日」で巨人入りしたことで流行語になった「エガワル」についで、こんどは「法利得る(ホリエル)」、法の盲点をつき、合法的に利を得るホリエモン的行為、と規定した上で「最近の氏の言動は、羊の皮をかぶってかえって混乱しているように見える。・・・偽善はやめて非情な悪玉に徹すべし。フジだって軽チャー路線で世相頽廃に寄与しているのだから、遠慮はいらない。・・・『合法的』にきたんなく、とことん『道徳』の表皮を剥いではどうか。坂口安吾に倣えば、堕ちよ、堕ちよ。頽廃の果てに、新しい仁義が萠すかもしれない」と、エールを送っていた。 ホリエモンの『僕は死なない』(ライブドアパブリッシング刊=2005年3月)は、近鉄バッファローズ買収に手を上げてから、新球団設立で楽天に漁夫の利をさらわれるまでの経緯をまとめたもので、なかなか面白かった。 「今回のプロ野球のことは、僕のように『世の中、すべて金で測った方がフェアだ』と思っている人とね、『金で買えない価値があるんだ』っていう『集団幻想』を壊したくない人たち、壊すと自分たちの権力がなくなってまずい人たち、今のネズミ講を維持していこうとする人たちとがぶつかった」 「今回、われわれが何で『読売クラブ』を恐れずにいろんなことができたかっていうと、もうまさにインターネットのおかげですよ。インターネットがなければ、うちはたぶんコテンパンにつぶされて、世の中から葬り去られていたかもしれない。僕の命も危なかったかもしれない」 「(日本の野球の)ターニングポイントはもう疑いなく長嶋茂雄さんなんですね。・・・プロ野球の興隆は長嶋茂雄の人生そのもの、みたいな。だから今回のプロ野球騒動が長嶋さんが倒れた2004年に起こったっていうのは、ちょっと象徴的なんですよ」 私がもっとも彼に期待していたのは、実はプロ野球のことより、インターネットの双方向性を武器に、報道の公共性という言葉に安住する既成メディアへの挑戦、という点にあったのだが、これは当分おあずけになってしまった。 とにかく『僕は死なない』は面白い刺激的な本だったが、冒頭に「プロ野球を変えてやろうとか暴いてやろうとか何とか、そんなことはひとつも考えてなかったし、正直そんなことに興味はありません。ただ純粋にビジネスとしてライブドアが球団を持とう、プロ野球ビジネスに参入しようとしたら、排除されてしまった」と書いていた点に、ホリエモンに対する一抹の不安はあった。野球はあまり好きではないのか。たとえ球団をもっても「野球が心底好きだ」という気持ちがなくて、果たしてうまくいくのか。あらゆることのスタートは、そのことが3度のメシより「好き」ということなのだから。 |