寺尾聡主演の映画「博士が愛した数式」を見た。小川洋子さんの原作は、以前、ここで紹介した。交通事故の後遺症で、80分しか記憶がつづかない博士と、そこに手伝いに来る家政婦と小学生の息子。この息子は博士に可愛がられて、頭のかたちから√(ルート)というニックネームまでもらっている。この3人が、自然数、素数、友愛数・・・・といった数字を間にはさんで、次第に強い友情の絆に結ばれる話である。江夏豊投手の大ファンである博士にとって、阪神時代の背番号「28」は、割り切れる数1+2+4+7+14=28という特別の意味をもっている。それがこの映画のかくれた美しさでもある 原作は素晴らしい出来栄えの小説だったが、数字が重要な役割を果たすので、映画化はむずかしいだろうと思っていたが、出来上がった映画はなかなかいいものに仕上がっていた。 寺尾聡は大熱演だった、と言いたいところだが、役の性質上、あまり熱演してはいけない、淡々として、しかしときに雅気と狂気に似たものが光る、という人物でなければならない。演技より存在そのものが問われるような役柄だ。寺尾聡はよく演じていたが、もし父親の故・宇野重吉だったら、と思ったりしたけれど、これはないものねだりというものだ。 映画の終り近く、博士と少年のキャッチボールのシーンがある。何でもないキャッチボール、それも大人と子供のキャッチボールは、なぜ胸にジーンと響くのだろう。 アメリカの名画「フィールド・オブ・ドリームス」でも、中年の主人公と、かつて大リーグを目指しながら挫折した少年時代の父親とがキャッチボールをする、幻想的なシーンがあった。これもホロリとする場面だった。俺が、俺が、と人を押しのけての自己主張とちがって、無言で相手の胸をめがけて受けやすい球を投げるキャッチボールは、人間のコミュニケーションの原型といえそうだ。 キャッチボールは野球の基本であり、人間同士のコミュニケーションの基本、相手を思いやりながらの会話、という原型を見せてくれるのである。 1月14日(土)午後9時から30分ほど、TBSラジオの永六輔さんの番組「土曜ワイド」に出演した。都内のいろいろな場所を紹介する乙女探検隊・柳沢怜さんと、多摩市営一本杉球場に立った。21年前の1月19日、「江夏豊たった1人の引退式」をナンバー編集部主催で開いた場所である。球場のたたずまいは昔と少しも変わらず、土と天然芝の匂いがなつかしかった。 多摩市の少年野球チームと、たけし軍団に試合をしてもらい、そこにリリーフで江夏投手が登板、ピンチヒッターとして落合、大杉、福本、山本浩、高橋慶・・・・など江夏さんと親しかった選手が打席に入り、1球ずつ打ってもらうという趣向だった。 永さんに「江夏投手はどんなにすごい投手だったか、若い人はわからない人も多いでしょう」と言われて「401奪三振記録もすごいが、三振の日本記録は絶対にライバル王貞治選手から取る、と決めて、やった、と思ったらそれはタイ記録。結局、次に王選手に打順が回ってくるまで、8人から三振をとらないようにして全部凡打させ、9人目の王から日本記録となる三振を獲るという離れ業を演じた投手です」と説明した。「江夏の21球」とともに忘れられないピッチングだ。 それにしても、昭和60年(1985年)の引退式のあと、大リーグのブルーワーズに挑戦、10人目の投手枠をメキシコから来た若いヒゲラ投手と争い、結局、球団が経験より若さを選んで、江夏投手の大リーグ挑戦は終った。球団からは3Aから始めれば、必ず大リーグへ上がるチャンスはある、と言われて、マイナー残留をすすめられたようだが、江夏投手はやるべきことはやった、とあっさり日本へ帰ってきた。 1〜2ヵ月辛抱する気持ちがあったら、野茂投手の10年前に、大リーグに本格的な日本人投手が出現していたのに、と今も残念に思う。 |