「世界」4月号に、読売ジャイアンツ球団代表・清武英利さんと、NYヤンキース広報・広岡勲さんの「巨人改革か、球界改革か」という対談が載っている。おかたい月刊総合誌としては、珍しい企画だ。 清武さんはプロ野球激動の年2004年から現職にある。「追いつめられているという気持ちが、非常に強い」という清武さんは、育成選手制度(ルーキーリーグを来年からスタートさせる)、「4月にジャイアンツ・アカデミーを開校します。長嶋茂雄さんに名誉校長になってもらって、幼稚園から小学生までの常設型の塾をつくる」など、いくつか新しい試みを紹介している。そして「昨年から今年にかけての野球改革の大テーマは、『裾野の拡大』と『世界に挑む野球』でした。これなくして、日本の野球は絶対に活性化されないと思っていましたから」と言い、WBC(ワールドベースボール・クラシック)を、ひとつのジャンプ台にしたいとも話している。 一方の広岡さんは、以前、報知新聞の巨人担当を8年間やった人だ。「私が巨人担当になって、三年目になって巨人が変わってきたとつくづく感じました。経営倫理に無理が生じてきた。イメージ的には『東京巨人軍』が『読売新聞の野球部』になってきた」ときびしい。WBCについても、やや否定的な見方だ。 2人の論点はあまりうまく噛みあわず、広岡さんは短刀直入に「巨人を再建するには、どうするのが手っ取り早いと思われますか」と突っ込む。 清武さんは「理念として言うと、『セレンディピティー』という言葉があります。これは『求めずして幸運にめぐり合う力』というんだけれども、画期的な飛躍のためにはセレンディピティーがないと絶対駄目だというんですよ。つまり、通常の基盤の上に立つ飛躍ではもう駄目なところまできているのかもしれない。ぼくは、この言葉をノーベル化学賞を受賞した野依良治さんから聞いたのですが、同じことを川上(哲治)さんがいうので『へぇー』と思ったことがありました。・・・画期的な飛躍のためには、よくわからないけれども、やはり高いところをめざして地道にやって、用意万端整ったときに、もしかしたらセレンディピティーに出会うかもしれない、まず目線を高く地道に努力し続けることがどうしても必要なんだと」 セレンディピティーという聞きなれない、むずかしい言葉を使わなければ、巨人改革も球界改革も語れない、というところに、球界の盟主の座からすべり落ちかけている巨人の悩みがよくあらわれている、といえるかもしれない。 セレンディピティーを清武さんは「求めずして幸運にめぐり合う力」と翻訳しているが、「人事を尽くして天命を待つ」「かなわぬときの神頼み」「ひょうたんから駒」「タナからボタモチ」「行きがけの駄賃」なども、その近くにある言葉だろう。盟主の言葉としては、いまひとつ力強さに欠ける。 セレンディピティーという言葉は、外山滋比古氏によれば、18世紀のイギリスの小説家ホレス・ウォルポールの造語だそうだ。「セレンディップの三人の王子」という童話にヒントを得たという。この童話の主人公は、思いがけないものを見つけることが上手だったという。してみれば、必ずしも消極的な言葉だとは言えない気もする。 それにしても、かつて巨人オーナーの正力松太郎氏がかかげた「強くあれ。紳士であれ。アメリカに追いつき追いこせ」という3原則のスローガンにくらべて、セレンディピティーはいかにも自信なげにみえるのは、私の気のせいであろうか。墨黒々と毛筆タテ書の正力語録と、ボールペン横文字の清武コンセプトのちがいか。巨人らしさとは何か。そのことが、あらためて問われているように思う。しかし、そのことに答えられる人は、今、どこにもいないのではないか。 |