春場所は荒れる場所、といわれるが、今年はモンゴル勢が大暴れ、という場所だった。朝青龍が優勝、同星決戦で敗れたが大関昇進を果たした白鵬、三賞も白鵬(殊勲・技能)、旭鷲山(敢闘)、安馬(技能)で独占した。4人とも相撲のタイプがまったくちがうところが、高見山、小錦、曙、武蔵丸の巨大圧力型の同型ハワイ勢とは、同じ外国人力士といっても面白みがちがう。 ハワイ勢が角界を席捲すると、興味は小よく大を制す、という日本人好みのワンパターンにしぼられそうな気がして、外国人力士がふえると相撲がいささかあじけなくなるかな、とひそかに心配していた。 ところが、次にあらわれてきたモンゴル勢は体格もさまざま、技もいろいろで、相撲を見る楽しみの幅が広がった。技のデパートはいまやモンゴル勢の専売特許となった感がある。みんな日本語もうまい。朝青龍が優勝した後の土俵際でのインタビューで「まいど大阪!」と言ったりするのを聞いていると、かつてパンアメリカン航空(この会社もなくなってしまった!)の極東支配人デビット・ジョーンズさん(故人)が「あんたはんは、大阪場所で優勝しはったさかい・・・」などと、場所ごとにその土地の方言を取り入れて表彰状を読み上げ、観衆を大いに沸かせていたのを、なつかしく思い出したりした。外国人だから、大目に見てもらえるユーモアかもしれないが。 十両ではエストニア出身の把瑠都が、北の富士以来43年ぶりの全勝優勝を果たした。これも快挙である。ブルガリアの琴欧州は、今場所は怪我で振るわなかったが、2メートルの長身と柔らかい足腰は、将来性は十分だ。その他にも、外国勢は目白押しだ。もっとも今は、各部屋に外国人力士は1人という枠があるから、50余人以上にふえることはなさそうだが、思い切って外国人枠を2倍ぐらいにふやしてもいいかもしれない。体も技も民族的な味わいを加えて、よりバラエティに富んでくるのではないか。 肝心の日本人力士はどうなる?手をこまねいていないで、日本相撲協会は全国の小、中学校に土俵をつくり、現役やOB力士を巡回指導に当たらせる。それでも、この少子化時代に力士の卵を探し、育て上げるのは容易なことではあるまいが、それをやらなければ、確実に日本人力士は減ってくるだろう。野球やサッカー、五輪スポーツ種目に少年は取られてしまうだろう。今ならまだ相撲のDNAは、日本人に残っていると思う。 国技の中に外国人が入ってくるのは、意外に面白いものだ、とここ数場所を見て思うようになった。いろいろな国の選手が顔をそろえたWBCの野球が面白かったように、大相撲に外国人力士がふえることで、新しい心技体に出会えるような気がする。 外国人力士がふえてくれば、思い切って幕内や十両の数をふやす。取り組みの方法を新しく考える。ナイターをふやす・・・など、興行方法を工夫すれば、難問は解決できるのではないか。水増しの味のうすい相撲がふえるとはかぎらない。ひと昔前、古臭い業界の代表は「スモウと学会」といわれた。学界はあまり変わったようにみえないが、相撲はかなり変わってきた。相撲はやがてスモウや、SUMOとなりそうだ。 こんどのモンゴル勢の活躍は、相撲の国際化の不安をかなり吹き飛ばしてくれた。名著「力士漂泊―相撲のアルケオロジー」で相撲のルーツ、中央アジアから日本へ来た相撲の道を、イメージ豊かに描いた作家・宮本徳蔵さんに、モンゴル勢のこと、外国人力士のことを訊いてみたい。 そういえば、藤田嗣治に「北京の力士」という絵がある。異邦人らしい小錦のような偉丈夫が、見世物芸としての力と技をみせて投げ銭を集める、というふしぎな絵である。一時代前の国際化の姿か。3月28日から始まった藤田嗣治展を見てみよう。 |