昭和44年に小説「アカシヤの大連」で芥川賞を受賞した詩人・作家の清岡卓行さんが、最近亡くなられた。私は取材で一度だけお目にかかったことがある。スポーツの好きな、温厚なお人柄だった。 清岡さんはプロ野球セ・リーグ事務局に勤めていたことがあり、ペナントレースの日程作りの名人といわれた。また、1試合で1人の選手が3安打すると、猛打賞として表彰する制度の発案者が、清岡さんだった。 そんなスポーツ好きの清岡さんに、1964年の東京オリンピックで活躍・優勝した女子体操のチャスラフスカと、女子バレーボールの日本代表"東洋の魔女"について書いた「勝利の羞恥と儚さ」というエッセイがある。(評論集「手の変幻」に所収) 後半の“東洋の魔女”にふれた部分に、ちょっと興味深いことが書かれている。 「あるフランス人批評家が、詩の創作における意識の充実のさせ方について、西洋的なパターンと東洋的なパターンを比較したことがある。・・・それによると、意識の内容を大きな円、意識の中心となる核をそれと同心の小さな円であらわすとき、意識の充実のさせ方の西洋的なパターンは、小さな円がしだいに膨張して大きな円に合致しようとすることであり、その東洋的なパターンは、小さな円がさらに収縮してゼロに近づくことである。つまり、過程的にはまったく反対の動きが見られるが、どちらの場合も、理想的な結果としては大きな円だけが残り、そこに渾然とした意識の充実がもたらされるというわけである」
清岡さんはこの理論が、団体スポーツ、たとえば野球のビッグゲームで日本人選手があがって固くなりやすく、アメリカ人選手の方がハッスルして、むしろ実力以上のものを発揮しがちであることをある程度解明してくれる、と書く。 「日本人選手が・・・あがりやすく、固くなりがちであるということは、東洋的な伝統をもちながら、しかも西洋的にプレイしようとしている矛盾、その中途半端にどうやら由来している。・・・つまり、意識の核がときに膨張して大きくなったり、ときに収縮して小さくなったり、どっちつかずの状態でいつまでも動揺していたら、意識の充実はありえないということになり、ぎこちなさだけが残るのだ」 近代日本は西欧文化を模倣学習して、かなりの程度成功したわけだが、近代スポーツの和魂洋才は簡単には成功しないようだ。清岡さんの文章はやや分かりにくいが、意識の核(=自我、我執)を膨張か収縮かどちらかの方法で無化していくことを言っている。よく、スポーツ選手が体が勝手に反応してくれました、といったりする状態だ。それが膨張と収縮をいったりきたりしては無化どころか、動揺、混乱するばかりだ。 イチローや中田英寿を見ていると、欧米選手に十分対峙できる「意識の充実」が感じられる。「意識の核」が膨張したり、収縮したり、どっちつかずの状態ではないようだ。彼らは東洋人(日本人)だから、多分、東洋的なパターンで、意識の中心となる核をさらに収縮させてゼロに近づけようとしているのだろう。 彼らにそれができて、他の選手たちにはそれができないのはなぜなのか。多分、この2人には想像を絶するような深く鋭い自己省察が、日常的に行われているからだろう。 今、オシム監督が日本代表について「日本色」「日本化」という言葉をしばしば使い、世界の情勢、環境をよく観察しなければならない、しかし、コピーになっては駄目だ、と発言していることに、私は注目している。オシム語録の中に「誰でもサッカーはできるが、アイデアのない人間はサッカー選手にはなれない」というのがある。オシム流の「意識の充実」を清岡さんとは別の言葉で言ったものと考えていいだろう。 「走れ、走れ」のオシム・サッカーは、いかなる意識革命を選手たちに要求し、選手たちがそれにどうこたえるかが、まことに興味深い、この先4年である。 |