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vol.304-1(2006年 6月 7日発行)
杉山 茂 /スポーツプロデューサー

オリンピックの課題は「戦う姿勢」だけか


 メディアの視線がほぼ一斉にワールドカップへ向けられているなか、日本オリンピック委員会(JOC)は、6月1日東京でコーチ会議を開き、今後のオリンピック〜当面は08年北京、10年バンクーバー冬季〜の日本選手団編成は、いっそう「戦う姿勢」を強めるものとし、予選通過に不安のあるレベルの選手は、「連れていかない(選ばない)」など厳しい選考を行うよう各競技団体へ求めた。

 トリノ冬季オリンピック(2月)の低調がかなりこたえている、と言えるが、個人系スポーツは、これまで決して甘い基準でオリンピックに臨んだわけではなかった。

 多くのスポーツは、その国際連盟が「標準記録」を設けハードルを高くしていたし、日ごろの国際大会の成績をポイント化したランキングで上位者にのみ参加資格が与えられるケースも、大会ごとに増えている。

 さらに、国内連盟が「標準記録」よりさらに厳しいラインを設定、選考会を行う姿勢も目立ってきた。

 それなのに本番で「戦う姿勢」が充満しないのは、国内でノルマを果たしてしまうと、あとは「タレント体質一直線」の軽薄なムードが、横いつするからではないか。

 一因に「オリンピック教育」の貧しさを感じる。

 通りいっぺんのオリンピック運動論が吹きこまれるだけで、現代の国際社会におけるオリンピックの意義や、この舞台に立つ代表選手の心構えなどが、充分に伝えられているとは、とうてい思えない。

 トップクラスを囲む状況は、恐ろしいほど速い時代の風にさらされ、マーケティング活動の渦に巻きこまれる。

 各団体は“金の卵”の“金”をメダルの色から、マネーと読み代えるようになった。選手の軽さばかりを責めるわけにはいかない。このあたりの風潮を見つめ直さない限り、関門を狭めただけでは「戦う」以前に「オリンピックへの姿勢」で列国に劣ってしまう。

 チームスポーツの多くは、アジア大陸予選という難関が立ちはだかり、その突破にエネルギーを費やし、とても本番での躍進までは見通せない。

 アテネの活気とトリノ冬季の精彩のなさは対照的であった。北京やバンクーバー冬季が、どちらのカラーに染まるのか、予断を許さない。

 そのためのJOCの引き締めと受け取ればよいのだろうが、埋めるべき課題は1つ、というわけではあるまい―。

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