ラグビーの日本代表が精彩を欠いている。6月4日のトンガ戦(北九州)16-57、11日東京でのイタリア戦が6-52。この時は1本のトライも奪えなかった。 今年の目標は、秋に始まるワールドカップアジア地区最終予選突破に据えられており、道中の1試合々々の結果をとやかくいう時期ではないのかもしれないが、ラグビーへの関心が低くなっているだけに、メディアが注目する試合で“いいところ”を披露しなければ、自ら浮上のチャンスをつぶすようなものだ。 日本にとって、初夏までの「国際シーズン」ともいうべきなかに組みこまれるカードは、若手の積極起用によるトップゾーンの底あげが目的とされる。 それはそれでいい。だが、挑む姿勢の乏しい内容では、この構想も空しくなる。 スコアが開いても、次への期待を抱かせるプレーが光れば、本格的シーズンへの興味は深まる。個々の選手がトップリーグや大学対抗へ戻っての話題にもつながるのだが、それが無い。 このあたりの意識で、サッカーとの差がだいぶついてしまった。 プロフェッショナルスポーツかどうかの問題ではあるまい。 観客、ファンのため息を誘うばかりの平凡なミス、なんとかトライをもぎとろうとする気力と展開力の不足・・・。 現代のスポーツは、メディアのますますの発達で周辺の"見る目"が肥えている。 かつてのラグビー界は「アマチュアのよさ」にこだわり、総てがそれを受け容れた。そのスピリッツを理解してこそラグビーファンであった。 時の流れは速く激しい。ラグビー独自の哲学、美学は、いいプレーを見せ、楽しい雰囲気が整えられてこそ活きる。
代表チームの試合となれば尚更だ。極言すれば、ジャパンの姿にワールドベースボールクラシックやFIFAワールドカップのジャパンが自然に重ね合わされる。 ラグビー界は、そうした“外側”の感覚を汲み、経・運営−競技現場の連携で熱い“興行”を打つべきだ。 寒さのなかで身体をほてらし観戦するのを“至福”とさえ想うファンも、イタリア戦はふるえた。冷雨のせいではなかった―。 |