安田直樹という名前を聞いて、はっとした。トリノ五輪のスピードスケートで選手数の制限から参加標準記録が引き上げられ、安田が出場資格を失った、という一報が入った時のことだ。
長野での全日本選手権で安田を取材したのは昨年12月末だった。今季からワールドカップのメンバーに選ばれ、この大会でも五千メートルを制したが、全国的にはまだ無名に近い存在。安田のことを詳しく知る報道陣は少なく、記者会見が終わってから本格的なプロフィール取材となった。
安田は日体大を休学していた。「4年までは通っていたんですが、オリンピックがあるので集中しようと今年(05年)から休んでいるんです。オリンピックが終わったら大学に戻るつもり。復学すれば6年生になりますね」。
長野県茅野市で育った安田は、東海大三高時代に指導を受けたアルピコの外ノ池信平監督に再び滑りを見てもらおうと長野に戻り、「たてしなクラブ」というチームに所属しながら五輪シーズンに懸けていた。
「オリンピックといっても実感がないんです」と話していた安田だが、今季の活躍が評価され、新種目のチームパシュート(団体追い抜き)要員としてメンバーに食い込んだ。ところが、本番直前、イタリア・コラルボで調整していた安田のもとに信じられない「悲報」がもたらされた。
安田は現地でこんな話をしたそうだ。「力が足りなかった僕にも非がある。ルールはルールだし、従うのがスポーツマンシップ。僕はまだ若いし、先もある。これも試練」。悔しさをぐっとかみ殺し、スポーツマンシップという言葉で自分を納得させた態度は立派だった。その潔さに00年シドニー五輪柔道の男子100`超級で疑惑の判定により銀メダルに終わった篠原信一の姿が重なる。篠原はあの時、「自分が弱いから負けたんです」と一切の不満を胸にしまい込んだ。
ところで、今回はボブスレーも含め、なぜ開幕間近にこんな騒動が起きるのか。2年前のアテネ五輪でも大会直前に混乱が起きたことを思い出す。国際オリンピック委員会(IOC)が大会直前から抜き打ちドーピング検査を積極的に実施し、相次いで違反者が発覚。最終聖火ランナーの有力候補と言われた地元の陸上選手が五輪出場を取りやめるという事態も起きた。そうしてIOCはドーピングに厳しい五輪を印象づけた。
今回は「五輪のスリム化」をアピールしたいのかも知れない。しかし、選手を直前になって除外する手続きには大きな問題が残る。スピードスケートでは世界で約30人の選手が出場資格を取り消されたという。肥大化する五輪を是正するのなら、もっと違う形があるはずだ。改革を標ぼうするIOCは、一番大事なアスリートの思いを軽視しているのではないか。 |