トリノ五輪の閉幕が近づいてきた。フィギュアスケートで荒川静香が金メダルを獲得し、76年インスブルック五輪以来30年ぶりの「メダルなし」を逃れた日本選手団だが、いずれにせよ惨敗に変わりはない。長野五輪以降、3大会の各国メダル獲得数を調べてみたが、これほど落ち込んだ国は他になく、やはりしっかりとした原因解明が不可欠だ。 大会途中に報じられた各紙の分析では、世代交代が進まなかったことに力点が置かれている記事が多い。その理由に企業スポーツの撤退による競技環境の悪化がよく挙げられている。しかし、それだけでは物足りない。 企業スポーツの崩壊は今に始まったことではない。少し突っ込んで考えるなら、ならばアテネ五輪の好成績は何だったのか、という疑問もわいてくる。夏の競技も企業スポーツの相次ぐ撤退に見舞われた。では、夏と冬ではなぜ成績にこれほどの差が出たのか。私は企業スポーツ崩壊後の「環境」に違いがあったのではないか、と見ている。 夏の競技では、出身大学に拠点を移すアスリートが増えてきた。00年シドニー五輪以降、そんな例が顕著になったように見える。企業に籍を置きながらも大学院の学生や研究員になって大学の施設を日常的に活用し、なんとか失われた場を取り戻そうとしたのだ。 これに対し、冬の競技には「代替の場」がなかったのではないか。フィギュアの高橋大輔が所属する関西大学がスケートリンクを整備しているようだが、そんな例は他に見当たらない。冬季競技の施設を持つ大学などほとんどなく、今後も期待はできないだろう。長野五輪の施設も夏場はほとんど使えず、年間を通じて鍛えられる環境が国内にはない。 数年前、われわれが詰めている東京・岸記念体育会館の記者クラブに、スケルトンの越和宏が一人で現れた。「所属企業との契約が切れるので、スポンサーの募集会見を開きたい」という趣旨だった。この会見内容が報道され、越にはスポンサーが複数集まったのだが、今回の出場選手を見ても「貯金を切り崩して現役生活を続けた」とか「居酒屋でアルバイトをしながら」といった例が多かった。だが、これを単なる苦労話として紹介しても仕方がない。 競技団体はこうした実情をどう捉えていたのだろうか。ナショナルチームの海外遠征や強化合宿を別にすれば、競技団体の組織立った取り組みは見られず、日常的な環境の整備は選手個人任せではなかったか。 メディアにとっても大きな反省と課題を残す大会となった。日本のだれがメダルを獲得できるか、という話題に終始し、外国勢の実力をしっかりと踏まえた戦力分析ができなかった点は否めない。もっと言えば、日本選手の成績の土台となる「環境の問題」を報じてこなかった責任は重い。つまり、外国も日本も見えていなかったのではないか、と痛感する。 閉幕日に日本オリンピック委員会(JOC)の記者会見が行われるのが恒例だ。JOCは最後に今回の成績をどう総括するのだろう。「荒川選手の活躍で不振のムードを吹き飛ばせた」などというコメントではなく、専門家としての分析を聞きたいものだ。 |