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vol.310-2(2006年 7月20日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
欽ちゃん球団は野球チームだったのか

 チームのメンバーである芸能タレントの遠征中の不祥事が発覚したことを受けて、社会人野球の欽ちゃん球団こと「茨城ゴールデンゴールズ」の萩本欽一監督がチームを解散する意向を明らかにした。

 昨年は何度か試合を観戦し、欽ちゃんのインタビューをし、経営の裏側も取材した。最初は単なる話題性だけのチームだと思っていたが、欽ちゃんの情熱にプロのマネジメントが加わり、そして何よりも、野球そのものが本格的になっていく途上が見えた。数年後には面白いチームになるのではないか、と期待もあっただけに、あまりに性急な「解散決定」と言わざるを得ない。

 チームが結成されて数カ月のころは、欽ちゃんのパフォーマンスばかりが売り物だった。私が初めて取材に行ったのは、全日本クラブ選手権の茨城県予選の1回戦だった。しかし、初の公式戦でも欽ちゃんはマイクパフォーマンスを演じてお客さんを喜ばせた。地元の野球連盟が試合前にそれを認め、特別な計らいをしたのだった。

 ゲームセットとなって欽ちゃんが観客に手を振ったり、愛想を振りまいて整列が遅れたことを審判が注意した。このことが欽ちゃんには許せないようだった。サインを求める一人一人に対応し終えた欽ちゃんは、連盟の役員に詰め寄った。「お客さんからおカネを取っているんでしょう。あれじゃあダメですよ」。素の顔に戻った欽ちゃんの怒った顔を初めて見た。お客さんが何より第一という芸人魂、アマチュアスポーツにはない感覚を感じたものだ。

 その当時、チームの実力はよく分からなかったが、春から夏にかけて選手たちがうまくなっていくのは手に取るように分かった。鹿取義隆、鈴木康友、羽生田忠克さんら元プロコーチの指導を受けて、選手たちは非常に手堅く、スキのない野球を身に付けていた。
 昨夏の終わり、インボイス西武ドームで行われた全日本クラブ選手権の本大会では準々決勝へと勝ち進み、都市対抗に出たNOMOクラブと対戦。1点差で敗れはしたが、この試合で好投したのは、山本肱平という21歳の大学生だった。

 彼は高校を出て青学大の野球部に入ったが、部の雰囲気になじめず、1年夏に退部。その後は草野球を続けていた。大学の同期には、今の大学球界屈指の好投手、高市俊がいた。山本は「高市がプロに行くのなら、自分も別の道から狙ってみる」と茨城ゴールデンゴールズの扉を叩いたのだ。このチームにはそんな連中がゴロゴロいる。

 欽ちゃん球団は、確かな野球チームへの階段を昇ろうとしていた。しかし、その人気は全国から引く手あまたとなり、いつのまにか、地方巡業をする興行集団のようになってしまった。今回の解散決定(マネジメント会社はまだ決定とは言っていないが)に、選手たちの将来や夢が考慮されたとは言いがたい。ほとんど試合や練習に出たことがないタレントが起こした不祥事を、欽ちゃんが芸能界の論理で裁いたということか。真剣に野球を追求してきた若い選手たちに、何と説明できるのか。これで解散となれば、欽ちゃん球団は「やはり芸能チームだった」で終わってしまうだろう。

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