スポーツデザイン研究所
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SPORTS ADVANTAGE
   「批評性」「評論性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る
スポーツアドバンテージ
滝口 隆司・バックナンバーリスト
vol.610-1(14/6/13)「ハムさん」が残した教訓
vol.607-1(14/5/19)ついにスポーツ国策化の道へ
vol.604-1(14/5/1)厳罰だけで差別は根絶できない
vol.602-2(14/4/18)ロンドンの「遺産計画」に学ぶ
vol.600-1(14/4/9)「小さな旅」に見た国立競技場の未来像
vol.597-1(14/2/24)五輪に登場した「新型」の主役たち
vol.591-1(13/12/27)国威発揚の足音が聞こえる
vol.587-1(13/9/24)東京五輪の応援団にはならない
vol.582-1(13/7/19)即座に反論した米国オリンピック委員会
vol.574-1(13/5/15)野球にタックルは必要ない
vol.570-1(13/4/10)高校スポーツに芽生える新たな価値観
vol.565-1(13/3/14)柔道改革案をめぐる気になる発言
vol.562-1(13/2/25)ルールには競技の「思想」が宿る
vol.560-1(13/1/16)スポーツ界は「非暴力宣言」を
vol.559-1(12/12/17)選挙結果から考えるスポーツ界の今後
vol.558-1(12/10/12)敢然と上海のコートに立った錦織
vol.557-1(12/9/12)メダル主義に傾くパラリンピック
vol.556-1(12/8/24)ロンドンと東京の違いを考える
vol.555-1(12/5/31)スポーツ界も席巻するソーシャルメディア
vol.554-1(12/4/27)スポーツ・グローバル時代の国籍問題
vol.553-1(12/3/29)JOCに「独立の志」は残っているか
vol.552-1(12/3/14)「ドリームス」の解散と英才教育の限界
vol.551-1(12/2/17)被災地に息づく元市役所職員の情熱
vol.549-1(12/1/30)パラリンピックにも「成果主義」
vol.546-1(11/12/28)激動の年の最後に実感する「絆」
vol.545-1(11/12/22)日本スポーツの「TPP」的課題
vol.543-2(11/11/16)残念な結果に終わった北朝鮮戦
vol.541-1(11/10/17)スポーツの視点からも「格差」を考える
vol.539-2(11/9/16)戦うことの根本を忘れた日本ラグビー
vol.538-1(11/8/29)減少続く五輪立候補都市と中東での秋開催
vol.536-1(11/8/11)地デジ化でスポーツ中継の「再生」を
vol.535-2(11/7/29)高校生たちも「何ができるか」を考えている
vol.533-1(11/6/29)東京五輪招致は「復興」を利用してはいないか
vol.530-1(11/6/3)基本法で「スポーツ権」は保障されるのか?
vol.529-1(11/5/16)「球音を取り戻す会」の支援を見習いたい
vol.528-1(11/4/27)「世界市民」思想とロンドン五輪
vol.526-1(11/4/11)五輪運動の原点に立ち返る時
vol.523-1(11/3/22)スポーツに出来ることを皆で考える
vol.520-1(11/2/28)「お祭り」はスポーツの原点だ
vol.518-1(11/2/10)一般紙から消えていったプロレス記事
vol.517-1(11/1/28)地域密着型プロの拡大・乱立に警鐘
vol.516-1(11/1/14)スポーツの「共通善」を考えたい
vol.514-1(10/12/24)競技団体の存在価値が揺らいだ1年
vol.512-1(10/12/3)日本は「小さくても光る国」に
vol.510-1(10/11/12)アジア大会に見える中国の変容
vol.508-1(10/10/25)県外出身の国体選手に何を「委託」する?
vol.505-2(10/10/8)別大マラソンの「2時間50分」
vol.504-1(10/9/27)日中交流の火を消すな
vol.503-1(10/9/17)国体の根本理念を問い直す時
vol.501-3(10/8/27)国家主義を超越したユース五輪
vol.500-1(10/8/13)「ユース五輪」で日本も貢献できる
vol.499-1(10/8/3)「特待生問題」から3年経って
vol.497-3(10/7/23)またも出てきた「外部有識者」
vol.496-1(10/7/9)権力介入で「自力航行」できなくなった相撲界
vol.495-1(10/7/2)「よくやったニッポン」でいいのか
vol.494-1(10/6/22)ツイッターとスポーツ界
vol.493-1(10/6/7)「日本らしさ」とは一体何か
vol.491-1(10/5/21)アスリートの「駆け込み寺」が必要だ
vol.490-1(10/5/10)燃え上がるギリシャからの火
vol.488-1(10/4/26)商取引か神殿か、五輪の進む道
vol.486-1(10/4/9)織田幹雄さんからのメッセージ
vol.484-1(10/3/26)智弁和歌山の少数精鋭主義
vol.483-2(10/3/12)全く残念な福原愛の早大中退
vol.482-1(10/3/3)ロシア惨敗の背景事情は興味深い
vol.481-1(10/2/22)アメリカの首位は何を意味するのか
vol.479-1(10/2/12)冬季五輪はいつまで開催できるのか
vol.477-1(10/2/5)相撲の生き残る道は「教育」しかない
vol.476-1(10/1/22)「神風」や「日本刀」に見える危険性
vol.475-1(10/1/15)新聞というコーチ」がいた時代
vol.474-1(10/1/8)スケートの新星に育成のヒントがある
vol.471-2(09/12/18)「逆風の中で」光は見えたか
vol.469-2(09/12/4)予算縮減と成果主義
vol.468-2(09/11/20)「育成の巨人」は悪くないが・・・
vol.467-2(09/11/10)無責任きわまりない東京の再挑戦
vol.464-2(09/10/9)五輪招致レースの流れは変わった
vol.463-1(09/9/28)「だれが」ではなく、「何を」語るかだ
vol.462-1(09/9/18)拠りどころを失ったヴェルディ
vol.461-1(09/9/7)学生野球憲章改正の象徴は「週休1日」だ
vol.459-2(09/8/25)新潟野球の底辺が動いている
vol.458-2(09/8/7)政権選択選挙にスポーツは含まれるのか?
vol.457-2(09/7/31)大きな荷物を背負った日本ラグビー界
vol.456-2(09/7/17)監督生活47年、最後の夏
vol.455-2(09/7/3)スポーツ報道の「記録性」を考える
vol.453-2(09/6/19)IOCと駆け引きを始めたMLB
vol.452-1(09/6/10)日本代表戦、人気低迷の時代
vol.450-2(09/5/29)「国力に見合った成績」求める教育再生懇
vol.449-2(09/5/22)バット職人「ジュン石井」の精神
vol.447-1(09/5/8)相次ぐ招致撤退から見えるもの
vol.446-1(09/5/1)日体大事件が問い掛ける「部活動」
vol.445-1(09/4/21)東京は何をアピールしたか
vol.443-2(09/4/10)ロッテが通達した「ジーンズ取材禁止令」
vol.441-3(09/3/28)教育者になる柔道家、鈴木桂治
vol.439-2(09/3/6)「カネが鍵を握る」ラグビーW杯招致
vol.438-2(09/2/27)企業責任を問う声がついに出てきた
vol.437-2(09/2/20)法的問題が残る政府の「財政保証」
vol.435-2(09/2/6)「スポーツ人教育」を改めて問いたい
vol.434-3(09/1/30)武道教育とガッツポーズ
vol.433-2(09/1/23)体力テストの「千葉1位」に注目したい
vol.431-2(09/1/9)地デジの普及とスポーツ報道
vol.430-2(08/12/26)スポーツ界の「自立度」が問われる
vol.428-2(08/12/12)市長辞任にまで発展した「市岐商」問題
vol.427-3(08/12/5)スポーツ界は無抵抗のままか
vol.426-2(08/11/28)サッカーくじ助成はこれでいいのか
vol.425-1(08/11/17)特待制度は追跡調査が不可欠だ
vol.424-1(08/11/10)「書かれざるルール」と米国野球
vol.422-3(08/10/30)高橋尚子の「金メダルロード」
vol.421-2(08/10/24)プロ化一直線の国際柔道界
vol.420-2(08/10/17)企業スポーツは「堤防」を築く時
vol.418-2(08/10/3)侍ハードラーの葛藤
vol.417-2(08/9/26)麻生太郎新首相とスポーツ界
vol.416-3(08/9/19)パラリンピックの成績後退をどう考えるか
vol.415-2(08/9/12)日本のプロ野球を襲う第2の波
vol.414-1(08/9/5)「最後の早慶戦」を甦らせた老記者
vol.413-4(08/8/29)ただ勝てばいい、のではない
vol.412-3(08/8/8)高校野球の教育論を掘り下げたい
vol.411-1(08/8/1)タイブレークと野球の醍醐味
vol.409-2(08/7/18)肉声なき引退発表
vol.408-2(08/7/11)橋下知事、高校球児に語りかける
vol.407-2(08/7/4)小林祐梨子がこだわる自然食
vol.406-2(08/6/20)ドーピング疑惑のかかる酸素カプセル
vol.405-2(08/6/13)またも陸上界を襲うミステリー
vol.404-3(08/6/6)長沼健さんとサッカー記者たち
vol.403-3(08/5/30)「グリーニー」はどこまで蔓延しているのか?
vol.401-2(08/5/16)「世界の山下」が訴えるソリダリティー
vol.400-2(08/5/9)本当の「ピンポン外交」とは
vol.399-3(08/5/2)参考にしたい英国スポーツ研究
vol.398-3(08/4/25)プロ野球の「時短」と社会貢献
vol.397-2(08/4/18)ハイ「スピード」水着と公平性の確保
vol.396-1(08/4/11)「国境なき記者団」の責任は重い
vol.395-2(08/4/4)黒岩彰さんの10年、日本スポーツの10年
vol.393-2(08/3/21)三洋電機に見る企業スポーツ
vol.392-3(08/3/14)甲子園改修のコンセプトは「残す」こと
vol.391-2(08/3/7)都市型独立リーグは本当に独立できるか
vol.390-2(08/2/29)高地トレ死の提訴は重大な警告だ
vol.388-2(08/2/15)再び表舞台に出てきたメディア王
vol.386-2(08/2/1)外交官ランナーの両立
vol.384-2(08/1/18)大学スポーツは早稲田の独り勝ちか
vol.383-2(08/1/11)越境通学の背景を考えたい
vol.382-2(07/12/21)スポーツの特殊化を考えた1年
〜2007年を振り返って〜
vol.381-3(07/12/14)新しい時代に突入した日本サッカー
vol.380-1(07/12/ 7)「ラグビーを裏切った」の言葉は重い
vol.379-4(07/11/30)高校を次々と付属化していく大学
vol.378-2(07/11/16)弁護士審判、グラウンドを去る
vol.376-3(07/11/ 2)「スポーツ立国調査会」の発足をどう読むか
vol.375-3(07/10/26)スポーツ界も「偽装」だらけではないか
vol.374-2(07/10/19)特待生の教育的価値を考える
vol.372-2(07/10/ 5)ドラフト入団拒否は過去の話?
vol.371-2(07/ 9/28)なでしこJAPANはよくやった!
vol.370-2(07/ 9/21)Jリーグのバランスシート
vol.369-2(07/ 9/14)「美しい国」の頓挫と日本スポーツ
vol.367-3(07/ 8/31)−世界陸上大阪大会がのこしたもの−
「ミステリー」では済まない
vol.366-2(07/ 8/24)佐賀北優勝の「謎」を考える
vol.365-3(07/ 8/17)今も聞こえる「甲子園の詩」
vol.362-3(07/ 7/27)女性アスリートの取り上げ方がおかしい
vol.360-2(07/ 7/13)たった2人の高校野球生活
vol.359-3(07/ 7/ 6)ソチ決定に見える危険な兆候
vol.358-2(07/ 6/29)東京に直結する2014年冬季五輪の行方
vol.356-2(07/ 6/15)五輪競技になぜスケボー?
vol.355-2(07/ 6/ 8)石川君はいつまではにかんでくれるか
vol.353-2(07/ 5/25)外国人留学生と野球留学生
vol.352-3(07/ 5/18)高体連も動き出した
vol.351-2(07/ 5/11)アマチュアリズム再考
vol.348-2(07/ 4/20)なぜ野球はだめなのか
vol.346-2(07/ 4/ 6)センバツ優勝、常葉菊川の陰の立役者
vol.345-2(07/3/30)希望入団枠撤廃、これで一件落着か?
vol.343-2(07/3/16)日本学生野球憲章を改めて読み返す
vol.342-2(07/3/ 9)徹底議論を望みたい東京五輪招致
vol.341-3(07/3/ 2)卓球界に何が起きているのか
vol.339-2(07/2/ 16)大学サッカーに復活のうねり
vol.338-2(07/2/ 9)選手ブログ解禁の是非
vol.337-2(07/2/ 2)容認できない体罰容認の流れ
vol.335-3(07/1/ 19)K−1秋山の愚行とスポーツマンシップ
vol.334-3(07/1/ 12)スポーツメディアにも「第3の波」
vol.332-3(06/12/ 22)あれから8年、横浜FCのJ1昇格
〜今年を振り返ってB〜
vol.331-3(06/12/ 15)スポーツ界にも格差社会の足音
〜今年を振り返ってA〜
vol.330-2(06/12/ 8)日本のオールスターからスターはいなくなる
〜今年を振り返って@〜
vol.329-2(06/12/ 1)アジア大会は五輪のアジア版でいいのか
vol.328-2(06/11/ 24)「鉄腕」の引退記事
vol.327-3(06/11/ 17)いつもと違う南北合同行進の意味
vol.326-2(06/11/ 10)このままでは冬季国体の火が消える
vol.324-2(06/10/ 27)再考したい日米野球の価値
vol.323-2(06/10/ 20)練習をしなくなった巨人
vol.321-3(06/10/ 6)五輪出場権を得るのは国か個人か
vol.320-3(06/ 9/29)ネットで見た新庄引退セレモニー
vol.318-2(06/ 9/15)巨人ではなく、早大に入る時代か
vol.317-2(06/ 9/ 8)シダックスの解散とTDKの優勝
vol.316-2(06/ 9/ 1)大阪の失敗を東京に生かせるか
vol.315-2(06/ 8/25)駒苫と八重山に見る地域格差なき高校野球
vol.313-2(06/ 8/11)「美しい国」のスポーツとは
vol.311-2(06/ 7/28)世界戦に見たボクシングへの「恐れ」
vol.310-2(06/ 7/20)欽ちゃん球団は野球チームだったのか
vol.309-4(06/ 7/14)高校野球にも中高一貫の波
vol.307-5(06/ 6/30)スポーツメディアが煽る構造
vol.306-3(06/ 6/23)宿沢さんが燃やした改革の火
vol.305-2(06/ 6/16)「アスリート 橋本聖子」の手腕を
vol.303-3(06/ 6/ 2)スポーツ中継は「報道」か「娯楽」か
vol.302-3(06/ 5/26)広げたい「ゆうボール」の輪
vol.301-1(06/ 5/16)低酸素トレはドーピングか
vol.299-2(06/ 4/28)巨人戦の視聴率と原野球の質
vol.298-2(06/ 4/21)ラグビー・トップリーグのアジア選手枠
vol.297-2(06/ 4/14)兵庫国体のネット中継と肖像権
vol.296-2(06/ 4/ 7)センバツ3チームに見る地方の強化
vol.295-2(06/ 3/31)新広島球場の青写真
vol.294-2(06/ 3/24)WBCに見る野球戦術の世界潮流
vol.293-2(06/ 3/17)テコンドーよ、またか
vol.292-2(06/ 3/10)全日本とパワーバレー
vol.291-2(06/ 3/ 3)ナショナルチーム中心の強化でいいのか
vol.290-2(06/ 2/24)そろそろ総括の時期だ
vol.289-2(06/ 2/17)コスの情熱がトリノでも燃えている
vol.288-2(06/ 2/10)「こころのプロジェクト」は普及のカギだ
vol.287-2(06/ 2/ 3)IOCは競技者軽視ではないか
vol.286-2(06/ 1/27)「ミュンヘン」は五輪映画ではなかった
vol.285-2(06/ 1/20)競売物件となった大阪ドーム
vol.284-2(06/ 1/13)少年野球と中学生の死
vol.283-1(05/12/28)迷路から抜け出せない企業スポーツ
vol.281-2(05/12/16)10代が引っ張る日本スポーツ?
vol.280-2(05/12/ 9)Jリーグと早明戦から見えるもの
vol.279-2(05/12/ 2)国歌演奏について考える
vol.278-2(05/11/25)四国に続く独立リーグの波
vol.277-2(05/11/18)「スペイン人」になったロナウド
vol.276-2(05/11/11)「極めて厳しい」ラグビーW杯日本招致
vol.275-2(05/11/ 4)バスケット新時代、挑戦と模索
vol.274-2(05/10/28)アジアシリーズが意味するものは?
vol.273-2(05/10/21)ロッテ優勝に見るプロ野球と地域性
vol.272-2(05/10/14)変わる中高年のカラダ
vol.271-2(05/10/ 7)四国アイランドリーグの「決算」は?
vol.270-2(05/ 9/30)日本スポーツも投機対象となる時代?
vol.269-2(05/ 9/22)「欧州サッカー式」を目指すプロ野球選手会の改革案
vol.268-2(05/ 9/16)エリート教育とフランスの苦戦
vol.267-1(05/ 9/ 7)NOMOクの優勝にみるクラブスポーツ
vol.265-1(05/ 8/24)114`速球の始球式と女子野球
vol.264-1(05/ 8/17)高野連は寮生活の実態にメスを
vol.262-2(05/ 8/ 5)ビッグクラブのTV戦略
vol.261-1(05/ 7/27)波紋を呼んだインテルの英国遠征
vol.260-1(05/ 7/20)“変なヤツ”が日本にほしい
vol.258-2(05/ 7/ 8)野村監督、古稀からの野球人生
vol.257-2(05/ 7/ 1)「運動しましょう」と言うだけでは
vol.256-1(05/ 6/22)楽観できない野球の五輪存続
vol.255-1(05/ 6/15)三菱ふそう川崎、復活への第一歩
vol.254-1(05/ 6/ 8)大学スポーツは変われるか
vol.253-2(05/ 6/ 3)第2ティア、ラグビー日本の問題点
vol.252-1(05/ 5/25)トップリーグ連携で活路は見出せるか
vol.251-1(05/ 5/18)桜のジャージーと外国人選手
vol.250-2(05/ 5/13)介護保険法の改正とスポーツ
vol.248-1(05/ 4/27)根来コミッショナーの巻き返し?
vol.247-1(05/ 4/20)不穏な空気が漂う北京五輪
vol.246-2(05/ 4/15)欽ちゃん球団の公式戦デビュー
vol.245-1(05/ 4/ 6)疑問の多いバスケットのプロ化構想
vol.244-1(05/ 3/30)再び五輪を招致する意義
vol.243-1(05/ 3/23)金メダリストの生き方
vol.242-1(05/ 3/16)「実業団リーグ」と外国人監督の不満
vol.241-1(05/ 3/ 9)石毛宏典さんの野球教室
vol.240-1(05/ 3/ 2)湘南ソフトチームの「ザスパ方式」
vol.239-1(05/ 2/23)揺らぐ巨大イベントの価値
vol.238-1(05/ 2/16)サッカー戦争と日朝戦
vol.237-2(05/ 2/10)「タマリバ」が教えてくれたもの
vol.236-1(05/ 2/ 2)古豪慶応のセンバツ復活
vol.235-1(05/ 1/26)日比野先生と大西先生
vol.234-1(05/ 1/19)スペシャルオリンピックスの話
vol.233-1(05/ 1/12)津波被害とクレメンテ
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