スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ

vol.530-1(2011年6月3日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

基本法で「スポーツ権」は保障されるのか?

 超党派の国会議員でつくる「スポーツ議員連盟」(会長・麻生太郎元首相)が国会にスポーツ基本法案を提出した。国会は政局絡みで揺れているが、日本スポーツの振興に影響を及ぼす法律だけに、特にスポーツ関係者は法案の内容をしっかりと吟味する必要がある。

 スポーツ政策の研究者たちが注目している一つが「スポーツ権」だろう。1978年のユネスコ総会で採択された「体育・スポーツ国際憲章」の中で「体育・スポーツの実践は全ての人々の基本的権利」と定義され、日本でもスポーツ権の保障が議論になったことがある。

 法案の前文にはこう記されている。
 「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適正等に応じて、安全かつ公正な環境の下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画することのできる機会が確保されなければならない」

 「スポーツ権」という言葉は使われていないが、スポーツを通じて人生を豊かにすることを人々の権利とうたっている。では、実際のスポーツの現場にはどう生かされるのだろうか。

 たとえば、一般入試で高校に進学した生徒が、ある部活動に入ろうとして、顧問から「ウチの部は強化指定部だからスポーツ推薦以外の生徒は入れない」と言われたとする。その時、生徒は「部活動に参加し、高校生活を楽しむ権利を侵害された」と主張することは可能か。

 たとえば、障害者バスケットボールが体育館の利用を求めて「コートに傷がつくから車いすバスケットは利用できない」と拒否された時、「公正な環境の下でスポーツを行う権利を認められなかった」と言えるか。

 たとえば、企業スポーツのチームが経営難の会社からいきなり廃部を告げられた時、選手たちは「スポーツに取り組む権利を会社側に一方的に奪われた」と声を上げられるか。

 もっと大きな話になれば、モスクワ五輪の時のように政府が国際政治情勢に関連して不参加を求めてきた時、日本オリンピック委員会は「五輪に参加する権利を国家によって妨害された。スポーツ基本法違反だ」と訴えられるか。

 「スポーツ権」を身近なものとして考えるのなら、私たちの周りにはさまざまな不公平や差別、圧力がある。法案ではスポーツに参画することのできる「機会の確保」という言葉を使っているが、私たちの権利はこの法律を盾に保障されるのだろうか。条文の各所には「努めるものとする」とか「必要な措置を講じるものとする」という表現も数多くある。法律でよく使う表現なのだろうが、せっかくの新法が努力目標だけであっては困る。

 日本スポーツの根拠法といわれてきた1961年のスポーツ振興法制定から半世紀。スポーツ産業や障害者スポーツ、ドーピング防止などの記述がなく、時代に合わない部分も出てきた振興法を全面改正しようというのが今回の趣旨だ。また、法案は「スポーツ立国を実現するための国家戦略」としてスポーツ推進を位置付ける。自分の周りのスポーツ環境や、個人と国家の関係に何が起きているのか。スポーツ政策というものを通じて考えるいい機会でもある。

筆者プロフィール
滝口氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件