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vol.316-2(2006年 9月 1日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
大阪の失敗を東京に生かせるか

 大阪市内を走るJR環状線の西九条駅からタクシーに乗った。「オリンピックが来てたら、この島ももっと便利になったんでしょうけどなあ」と運転手がつぶやく。2008年の五輪開催地に立候補した大阪のメーン会場、舞洲へ向かう途中でのやりとりだ。閑散とした人工島には野球場もあれば、アリーナもある。しかし、ここにたどりつける一番の手段はタクシー。2500円はかかる。五輪招致が成功していれば、鉄道が近くまで通るはずだったが、その計画も頓挫してしまった。

 2001年7月の国際オリンピック委員会(IOC)モスクワ総会で、大阪は大敗した。北京、トロント、パリ、イスタンブールと争った投票で、大阪は1回目の投票でわずか6票しか集められず、あっさりと敗れ去った。人口島の建設でウォーターフロント開発を進めようとする意図がみえみえの五輪招致ではあったが、結局、国際的にアピールするものは全く見えてこなかった。

 今回、2016年五輪の立候補都市として、東京が福岡を退けて日本の候補地に決まった。ここまではある程度、想定されたシナリオだろう。2004年アテネ五輪の直前に、スイスでIOCの関係者を取材した時、「もうそろそろ東京も手を挙げていいのではないか。1964年から40年も経っているんだから」という話を聞かされた。それから間もなくして、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和会長が立候補を表明したので、私は「IOCから『そろそろ東京で立たないか』との声があったのではないか」と想像したものだ。

 2016年にまず顔見せをして、本当に狙うのは2020年だ、というのが、JOC関係者から聞いた話だった。近年の五輪開催地は▽1996年夏・アトランタ(北米)▽1998年冬・長野(アジア)▽2000年夏・シドニー(オセアニア)▽2002年冬・ソルトレークシティー(北米)▽2004年夏・アテネ(欧州)▽2006年冬・トリノ(欧州)▽2008年夏・北京(アジア)▽2010年冬・バンクーバー(北米)▽2012年夏・ロンドン(欧州)――となっている。

 夏だけを見ても、北米―オセアニア―欧州―アジア―欧州という順番なので、次にアジアというのは容易ではない。また、2014年冬は平昌(韓国)、ザルツブルク(オーストリア)、ソチ(ロシア)の3都市の争いとなっていて、もし平昌に決まれば、2016年夏のアジア開催は大きく遠のく。

 2016年に立候補を検討しているのは、アジアは東京以外に釜山(韓国)、バンコク(タイ)、ニューデリー(インド)、ドーハ(カタール)。欧州ではマドリード(スペイン)、ローマ(イタリア)、モスクワかサンクトペテルブルク(ロシア)。北中南米では、ロサンゼルスかシカゴかサンフランシスコ(米国)、リオデジャネイロ(ブラジル)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)。五輪開催経験のないアフリカでは、ケープタウン(南ア)。この顔ぶれを見ると、米国の候補地がどこに決まるかが、開催地決定を大きく左右するに違いない。

 東京の真の勝負を「2020年」と読むのは現実的な見方かも知れない。しかし、開催基本理念が「アジア初の2回目の五輪を東京で」というのではあまりにもアピール度がなさすぎる。本当に国際的な勝負ができるのか、それを東京の招致関係者はどう見込んでいるのか。現状ではかなり疑問符がつく。中途半端な開発だけで終わった大阪の二の舞にならないことを願うばかりだ。

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