近代オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタンが書き残した「オリンピックの回想」(ベースボール・マガジン社)を改めて読み返している。国際オリンピック委員会(IOC)のフアン・アントニオ・サマランチ前会長が亡くなり、その評価をめぐる各紙の評伝を読んでいて、五輪の精神とは本来どうだったのか、をもう一度確かめてみたいと思ったからだ。 冒頭の解説で、ドイツのスポーツ史家、カール・ディームがクーベルタンの言葉を紹介している。 「商取引の場か、神殿か、スポーツマンがそれを選ぶべきである。あなた方は自分でそのひとつを選ばなくてはならない」 これはハンガリー・プラハで行った演説の一部だ。クーベルタンは1937年に死去したが、「近代オリンピックの父」は、五輪がいずれ「商取引=ビジネス」に利用されることを予言していたのだろう。逆に、「神殿」は聖なる五輪の精神と言い換えることができる。 各紙のサマランチ評は、その功罪を取り上げたものが多く、私も当日はそのような記事を書いた。だが、一部には、開催地が財政難にあえぎ、立候補に名乗りを上げる都市さえ激減していた五輪を商業化によって立て直した、と絶賛する記事もあり、歴史をわい曲しているような印象も受けた。 改めて詳述する必要はないが、サマランチ氏が会長に就任した1980年以降、ドーピングや招致活動にまつわる買収疑惑など数々の問題が表面化した。その事実は、いくらサマランチ氏の「功績」を挙げ連ねても消えない。 五輪のゆがみに最も気づいているのは、実は主催者であるIOCではないか、という気がする。ジャック・ロゲ会長は今夏にシンガポールで開催する「ユース五輪」について、次のような言葉をIOCの公式サイトで表明している。 「ユース五輪は、『ミニ五輪』となるべきではない。五輪の価値、健康、ライフスタイル、社会的責任という点において、若いアスリートたちはユース五輪で競技以上のものを学ぶことができる」 14歳から18歳の若者を対象にした新設大会、ユース五輪の構想が明らかになった頃、次世代のトップアスリートが集まる「見本市」になるのではないか、IOCはビジネス路線を拡大しようとしているのではないか、という懸念があった。しかし、ロゲ会長は「ミニ五輪」という言葉を使って、こうした見方を打ち消している。世界の若者が友好を図り、相互理解を深めていく場であることを強調しているのだ。種目数や参加人数を制限して大会規模を絞り、大会中は選手村に滞在することを求めて、競技よりも交流の場になることを重視している。 クーベルタンが近代オリンピックを復興させたのは、英国のパブリックスクールで行われていた青少年のスポーツに感銘を受けたことがきっかけだったといわれている。自分たちでルールを作り、それに従って競技を行う自立(律)心や規範意識。発祥当時の五輪には、スポーツは報酬や名声を得るためのものでなく、無償のものであるという精神が宿っていた。ロゲ会長下で行われるユース五輪は「神殿」の復活を目指すものとなり得るか。まさにスポーツマンたちが次世代へ続く道を選ぶ時である。 |