スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ

vol.535-2(2011年7月29日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

高校生たちも「何ができるか」を考えている

 青森、岩手、秋田、宮城の4県を舞台とする全国高校総体が始まった。被災地で開かれることになった高校スポーツの祭典である。私はデスクという立場で現地から送られてくる原稿をみているが、一つ気付いたことがある。高校生の意識の変化といってもいいし、スポーツを通した教育の変化といってもいい。

 大会初日の28日、秋田県のサッカー会場から送られてきたのは、福島県代表、尚志高校の話だった。試合前日、選手たちは被災地のために支援活動をするアスリートのビデオを見たという。「スポーツの力でみんなを元気づけよう」という意識を高める監督の意図だったそうだ。確か、なでしこジャパンが震災関係のビデオを見てワールドカップの試合に臨んでいたが、日本代表でもない高校生たちも、震災を通じて「スポーツに何が出来るのか」を考えるようになっているのだろう。尚志高校を率いた仲村浩二監督はこう言っている。

 「勝ちたいというより、勝って福島の人に喜びを与えたいという気持ちで一致していた」。

放射能の影響で練習は1日3時間以内に制限され、週末は県外に出向いて練習試合を積むほかなかったという。しかし、土佐高校(高知)との試合は実力を十分発揮して3−1で快勝し、初戦を突破した。

 思い出されるのは、春の選抜高校野球大会に宮城県から出場した東北高校のことだ。彼らは、震災直後からボランティアで復旧作業を買って出た。そして、練習も不十分なままセンバツに出て、甲子園から戻るや再びボランティア活動に従事した。残念ながら、夏は甲子園出場を果たせなかったが、選手たちが震災と野球から学んだ「社会とのつながり」は何より得難い財産になったはずだ。

 震災直後、ある大学の先生と若者の社会貢献意識について話をしていて、なるほどと感心したことがある。その先生は次のような話をした。

 「今、ボランティアで被災地に入っている若者たちがいるでしょ。彼らは〈ゆとり教育〉の世代です。ゆとり教育に批判は多いけれど、ああいう思いやりの気持ちや無償で奉仕するという心は、ゆとり教育によって養われたのではないか、と思うんです」

 学力低下をもたらすなど、ゆとり教育に弊害が少なくなかったことも事実だろう。だが、その一方で「心の教育」はじわりと子供たちに浸透していたのではないか、という指摘だ。

スポーツにも共通のことがいえるのではないか。ただ勝つことばかりを求める勝利至上主義では他者を思いやる心は育たない。尚志高校も東北高校の選手も、震災でろくに練習も出来ない劣悪な環境に追い込まれながら、社会や地域と向き合ってきた。

 「詰め込み練習」だけでは得られない貴重な経験だ。それは被災地の高校生だけでなく、全国に広がりつつある共通意識にも思える。高校生たちが躍動する夏。彼らの思いをしっかりと受け止めたいものだ。

筆者プロフィール
滝口氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件