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vol.546-1(2011年12月28日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

激動の年の最後に実感する「絆」

 花園で始まった全国高校ラグビー大会の開会式をテレビで見ていた時のことだ。日本ラグビー協会の森喜朗会長のあいさつに、思わず身を乗り出してしまった。その中で紹介された中学生の作文に、思わず心を奪われてしまったからだ。

 読み上げられたのは、全国中学生人権作文コンテスト中央大会で内閣総理大臣賞を得た福岡県・九州朝鮮中高級学校中級部3年、崔玄祺(チェ・ヒョンギ)君の文章だった。タイトルは「絆」だ。

 「健太には右手首から先がない。生まれつきだとぼくは聞いた。病気のせいでそうなったと。だから成長も遅い。健太とは小学校の時から同じラグビースクールで共にプレーしてきた。体も小さく、体重も軽い健太だが、厳しく辛い練習に弱音も吐かず、寒い日も暑い日も一緒にラグビーボールを追いかけてきた」

 周囲の大人たちは崔君らに「ちゃんと全員でフォローしてやらんね」と健太君を助けてあげるように言う。しかし、少年たちには、健太君を障害者とは見ていない。

 「手が不自由だからと特別扱いなど決してしなかった。だから、健太のミスには遠慮なくダメ出しもするし、本気で言い合いになり最後はケンカになることもあった。健太は言い出したら引かない。小さな体で喰いついてくる。どんなに言い争うことがあっても、練習や試合が終われば、ぼくも健太も笑顔に戻るのだ」

 中学最後の試合。どしゃぶりの雨の中、健太君はボールを前に落とす「ノックオン」の反則を犯す。中学に入ってからの健太君は障害が背中にも及んで歪曲するようになり、痛みで練習を見学することも多かったという。それでも3年間、ボールを追い続けてきた。

 ノックオンの後のプレーについて、崔君はこう書いている。「だが、次の瞬間ぼくは死にもの狂いで次の展開へと走り出していた。『健太が落としてしまったのなら仕方ない。あいつが中学三年間、絶対に妥協することなく常に全力でラグビーに取り組んできたことは他の誰よりも知っている。だから必ず取り返してやろう。』後になって、チーム全員が同じ気持ちで駆け出していたことを知り、嬉しかった。それは決して健太の右手が不自由だからではない。かけがえのない大切な仲間だからだ」

 彼らは高校に入ってもそれぞれの道でラグビーを続けるという。この文章には、障害者と健常者の分け隔てない少年たちの世界が描かれている。そして、これを書いた崔君が朝鮮中高級学校の生徒であったことも重要な要素だと思う。

 スポーツが垣根を取り払ってくれる。今年はいろんなことがあったが、年の最後にスポーツが本来あるべき「絆」をこの文章に見た気がする。

 全文は(http://www.moj.go.jp/content/000081842.pdf)で読める。ぜひ一読をお勧めしたい。

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