全国高等学校体育連盟が、来年から全国高校駅伝の最長1区で外国人留学生を起用できないことを決めた。昨年、久しぶりに高校駅伝の取材に携わったが、こんな状況に違和感を抱かない人がいるだろうか、と思ったほどだ。 1区でケニア人ランナー4人が突っ走り、日本人選手たちはその第1集団に全く付いていこうともしない。2区から順位が入れ替わっていくとはいえ、外国人留学生がいる学校とそうでない学校では、総合的に大きな戦力差があることは疑いなかった。 この問題で、常に論じられるのは「制限や禁止は、外国人排斥にならないか」ということだ。加えていえば、「スポーツも国際化の時代。国際的な競技力を身につける上では問題はない」「留学生が日本に溶け込み、日本のスポーツ界にも貢献してくれる」といった声もよく聞く。 昨年、秩父宮ラグビー場近くの居酒屋で、大東文化大のラグビー部監督を務めるトンガ出身のシナリ・ラトゥさんに偶然会った。その時は名刺を交わしただけだったが、息子を連れて日本のラグビー関係者と盛り上がっている姿を見ると、いかに日本社会にラトゥさんが受け入れられているかがよく分かった。きっと陸上競技にもこんな選手は多いと思う。 外国人留学生の問題は、野球留学の問題にも重なってくる。「中学生にも進路選択の自由はある」「親元を離れての寮生活は人間的な成長を促す」「より良い環境や指導者を求めて県外に進学することの何が悪いのか」など。そういう意見も理解できないわけではない。 外国人留学生も野球留学生も、飛び込んだ新しい世界で頑張り、新しい人間関係を築いていく。そうした選手の努力は認めてあげるべきだと思う。ただ、これを学校側の視点から見ると、やはり議論が必要な気がする。 「留学生」を採用している学校に「ところで、スポーツで留学生(または野球留学する県外選手)を受け入れる狙いは何ですか」と聞いてみればいい。国際交流か? 選手の才能を伸ばすためか? 本音はもちろん、そうではないはずだ。学校の宣伝、いわば経営のために他ならない。野球留学では中学生を勧誘する「第三者」の介在が問題となっているが、陸上のケニア人選手獲得ルートにも「仲介人」が存在することは陸上関係者なら誰でも知っている。 昨日、特待制度の検討部会が日本高校野球連盟で行なわれ、全国9地区を代表する私学の校長が集まって私学の要望を高野連に伝えた。会合の後、記者会見した校長たちは「特待制度は私学の生命線だ」と強く訴えた。つまり、選手集めは私学経営の根幹にかかわる問題なのだろう。それは選手を育てる以上に重要なのかも知れない。 今回の高校駅伝での高体連の措置は、競技会そのものを大きく変えるものではないと思われる。1区がダメなら次に長い3区へ、という学校が増えるだけではという見方が根強い。だが、高体連が提起した問題は決して無駄ではない。高校野球の特待生問題と同様、学校とスポーツを考える上で大切なテーマだ。 |