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vol.523-1(2011年3月22日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

スポーツに出来ることを皆で考える

 先週半ばのことだ。自宅に帰ると、テレビでとんねるずのバラエティーが流れていた。若手芸人が次々と一発芸を見せる録画番組だった。「これだけ多くの人が悲しんでいる時に不謹慎ではないか」。そう怒るのは簡単だ。だが、テレビ局の人はあえてそんな番組を放送する意味を考え、思い切って決断したのだろう。久しぶりに笑いが戻った我が家を見ながら、被災地の避難所の人たちも、一瞬かも知れないが現実を忘れ、心の傷が癒やされたのではないか、と思った。お笑いは「文化」なのだ、と感じさせるひとときだった。

 スポーツ関係者も大いに悩んだ1週間余りだったに違いない。多くの大会が中止になり、延期を余儀なくされた。私のいる毎日新聞社と日本高校野球連盟は選抜高校野球大会の開催に踏み切ったが、知り合いの方からは直接、「なんで今、大会を開く必要があるのか。原発の恐ろしさを分かっていない。生命を軽んじるな」という厳しい意見も頂いた。

 今はスポーツ活動を停止すべきか、スポーツを通じて社会貢献活動をすべきか、いろんな意見がある。私は後者の考えだ。悩んだが、サッカー界のご意見番、セルジオ越後さんのコラムを読んで、我が意を得たり、という気にさせられた。

 セルジオさんは「Football Weekly」というインターネットサイトにこう書いている。

 「この国難の最中、サッカーをすることで被災地の方々が本当に元気をもらえるのか、勇気を持てるのか、それは一概には言えない。しかし、被災を免れた元気な僕らが、いつまでも過激なニュース映像を見て悲しんでいるわけにはいかない。そろそろ国民全体の心のケアをしなければいけないときが来ている。サッカーには、傷ついた心をときほぐす力があると信じている」。そして、こうも述べている。「自粛とは、休むことと同意だよ。残念ながら、君がいくら涙を流したところで被災者は救えない。社会活動に貢献することこそが、被災地を助けることになる」。

 コラムのタイトルは「すべての日本人へ『倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ』」。スポーツに出来ることは何か。皆がそのことを考えている。まずは、スポーツの注目度で人を集めることだ。試合をやることでもある(もちろん節電への配慮は必要だ)し、街頭募金活動であってもいい。被災地の復旧・復興には国の予算ではとても足りないほどのばく大なカネがかかる。義援金集めは地道な活動だが、その一つ一つがきっと大きな力になる。

 そして、何よりも取り組むべきことは、セルジオさんが言うように「傷ついた心をときほぐす」ことだ。お笑い芸人も同じだろう。歌手も俳優も音楽家も芸術家も・・・。スポーツも含め、これらの分野は「娯楽」と位置付けられ、生活に余裕のある時は楽しませてくれるが、喫緊の生活には特に必要ではない、と思われてきたのではないか。だが、こんな時からだこそ、「自分たちは社会に不可欠な存在」であるという自負を持って臨まなければならない。そのことが今、問われている。

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