文部科学省や日本オリンピック委員会が主催した「スポーツコーチサミット」で、アテネ五輪女子マラソンの覇者、野口みずき(グローバリー)を指導する藤田信之監督が「世界で勝つために〜野口みずき選手のトレーニング〜」というテーマで講演した。藤田監督は、五輪の頂点に立つまでの長い道のりを披露しながら、最後に興味深い話をした。それは金メダリストとしての生き方だった。
「高橋尚子君はシドニーで金メダルをとった後、プロ宣言をして、それまでとは違う生き方を選んだわけです。ただ、私は野口にそういうことをさせる気はない。プロになるのなら、私のところから出ていってほしい、と言っていましたから。アテネまで来たのと同じ道で北京までと、私も本人も考えている」
決して高橋の選んだ道を非難するような口調ではなかった。むしろ、金メダリストとしていろんな道があってもいいのではないか、というニュアンスが強かったようにも聞こえた。
そういえば、五輪後、野口は講演会やCMにほとんど登場していない。JOCが始めた新肖像権ビジネス「シンボルアスリート」の候補にも挙がったが、「競技者としての活動に集中したい」と辞退している。金メダリストとしての名声や商業価値は、それ以前とは比べ物にならないほど大きいはずだ。それでも商業的な世界に足を踏み入れないのは、純粋に走ることに専念したい、という思いからだろう。
藤田監督はかつてワコールの監督だったが、会社との方針の違いもあって退社した経験がある。その時、ワコールに所属していた野口も藤田監督を慕って会社をやめた。以来、4カ月間は全く所属のない時期が続いた。そこで声をかけてきたのが、グローバリーという名古屋に本社を置く商品先物取引の会社だ。
「失業中に原点に戻れたんです。いったん会社を飛び出してそれが分かった。あのころ、一番集中して練習に取り組めた。そしてまた恵まれた環境の会社に入れてもらった。だから、がんばらにゃあいかんと。そういうハングリーな気持ちになれたんです」と藤田監督は続けた。
高橋のように、自分の商業価値をシビアにとらえ、自らの競技環境を自分の手で切り拓こうというのも一つの生き方だ。野口のように、周囲の雑音を排し、所属企業に感謝しながら競技を追求し続けるのもトップアスリートの生き方だろう。
どちらも尊重されていい。カネをもうけるか否か、プロかアマかを論じる時代でもない。野口もある意味では「プロ」の精神を持ち得た競技者といえるかも知れない。金メダルを手にした2人のマラソンランナーの生き方は、それぞれに日本スポーツの今を映し出している。 |