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vol.533-1(2011年6月29日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

東京五輪招致は「復興」を利用してはいないか

 東京都の石原慎太郎知事が2020年の夏季五輪開催地に名乗りを上げる意欲を表明し、さらに東日本大震災の被災地での一部開催を打ち出した。日本オリンピック委員会の竹田恒和会長は被災県を訪れ、五輪開催を「復興のシンボルにしたい」と語ったそうだが、福島県の佐藤雄平知事からは「原発事故問題が収束していない中で、県民がどう受け止めてくれるか」と態度を保留されたという。東京五輪招致をなぜ「復興」と結びつけるのか。その論理が腑に落ちない。

 落選した16年招致の時の大会理念は「平和に貢献する 世界を結ぶオリンピック・パラリンピック」だった。しかし、平和への貢献は五輪運動の基本的な考え方であり、東京の独自色は見えてこなかった。環境技術によるCO2排出削減で「カーボンマイナス五輪」などともアピールしたが、どこか取ってつけたような印象はぬぐえなかった。

 今回は大会理念として震災からの復興を強く押し出すのかもしれない。だが、被災地でない東京が「復興」を錦の御旗にするのには矛盾が生じる。だから、一部競技を被災地でやってもらおうと言い出したのではないか。それにしても福島県知事の反応を見ていると、被災地の感情を無視しているようにも思える。震災からの復興を利用していると受け取る人がいても不思議はない。

 五輪が人々を元気づけ、日本に活力をもたらすという言葉は、16年招致の時に嫌というほど聞かされた。だが、都民の支持率はいっこうに上がらなかった。東京はなぜ五輪を開催したいのか。それが伝わらなかったからだ。「復興」は世論の支持を得やすいキーワードだろう。だが、日本の復活を世界にアピールするために五輪を開催したいというのなら、国力誇示の政治的意図を持った招致ともいえる。当然のことながら、五輪開催は東京の大規模開発とも密接な関係にある。東北に原発を作って電力を利用してきた東京での五輪を、東北で一部だけ開催するといって何がもたらされるのか。もっと優先して取り組む課題はあるのではないか。そんな厳しい見方をする被災者もいるに違いない。

 五輪招致を後押しする「スポーツ基本法」が成立したばかりだ。国際競技会の招致・開催に対する国の資金確保を明記し、国家戦略として「スポーツ立国」を目指すと言い切っている。そうした流れの中に今回の動きは位置づけられる。

 震災復興とスポーツ基本法をバックに、東京は再び五輪招致に邁進するつもりだろう。7月15日には日本体育協会とJOCの創立百周年記念行事があり、国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長をはじめ、各国のオリンピック関係者が1200人も来日する。ロビー活動をするには絶好の機会なのかも知れないが、被災地の状況を考慮せずに「復興」で突っ走ることは許されないことだ。7月6日には韓国・平昌が立候補している18年冬季五輪の開催地も決まる。その結果も20年の開催地選びを左右するだけに、「再挑戦」には自由な議論と慎重な判断を望みたい。

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