9月の自民党総裁選に立候補が有力視されている安倍晋三・内閣官房長官が7月末に「美しい国へ」(文春新書)という本を出版した。本屋で何気なく手に取ったところ、スポーツに関する記述があったので、さっそく買ってみた。これから日本の舵取りをしようか、という人のスポーツ観が色濃く出ているので紹介してみようと思う。 安倍氏は、自らのことを「『保守主義』、さらにいえば『開かれた保守主義』がわたしの立場である」とはっきり述べたうえで自分の生い立ちを振り返る。そして、「自立する国」というテーマで北朝鮮問題や日米安保、靖国問題に触れる。スポーツの話題が出てくるのはその次の章。テーマは「ナショナリズム」である。 最初のエピソードは、安倍氏が10歳の頃に見た東京五輪の感想から始まる。自衛隊機が空に描いた五輪マーク、重量挙げ・三宅義信の金メダル、神永昭夫がヘーシンクに敗れた柔道、そして女子バレーボール「東洋の魔女」。小学生の時の記憶をたどりながら、安倍氏は「日本が世界にむかって、その存在をこんなに誇示しているのか、と新鮮に思ったし、驚きだった。幼いながらも、誇らしい気持ちを抱いた」と述べる。ここまでは回顧話の域を出ない。本音が見え隠れするのは、その次だ。 東京五輪やアテネ五輪の成績に触れて「国際スポーツ大会における勝ち負けというのは、国がどれほど力を入れるかで、おおきく左右されるものだ。勝つことを目標にかかげることで、それにむかって頑張ろうとする国民の気持ちが求心力のはたらきを得て、ひとつになる」と書き、「スポーツには健全な愛国心を引き出す力があるのだ」と強調する。 スポーツがどれほどナショナリズムに利用され、本来自由であるべき活動が抑圧されてきたかを安倍氏が知らないはずはない。国際的な友好の場となるべき五輪の舞台が、東西冷戦下で引き裂かれたことを知らないはずはない。 1980年モスクワ五輪のボイコットで、日本のスポーツ界には「政治とスポーツ」には距離を置くべきだという共通認識がもたれている。そういう過去があるからこそ、常にスポーツ界は政治の寄り付きにはデリケートなのだ。 五輪だけではない。安倍氏はサッカーのワールドカップについても「スポーツに託して、自らの帰属する国家やアイデンティティを確認する――ナショナリズムがストレートにあらわれる典型がサッカーのW杯だ」と語っている。ここまで露骨にスポーツとナショナリズムの関係を語られると、驚きを超えて恐怖感さえ感じざるを得ない。 安倍政権が誕生すれば、スポーツには多額の国家予算がつぎ込まれ、五輪やW杯のたびに首相が前面に出てくるようになるかも知れない。それをきっとスポーツ界はもろ手を挙げて歓迎するだろう。しかし、手のひらを返して国際情勢が不安定だから五輪はボイコットしなさい、と言われた時に、スポーツ界はどんな顔ができるのだろう。心配でならない。 |