横綱朝青龍のガッツポーズが物議を醸している。初場所千秋楽で優勝を決めた直後の所作について、横綱審議委員会からは「今までの横綱でガッツポーズした力士なんていない」と注文がつき、日本相撲協会の武蔵川理事長も朝青龍の師匠である高砂親方を呼んで厳しく注意を促した。 ところで、ガッツポーズという行為の是非を決める判断はどこにあるのだろうか。昨年の北京五輪ではいくつものガッツポーズを目にした。甲子園では高校球児が常にガッツポーズで喜びを表現している。サッカー選手だってゴールを決めればガッツポーズ。ゴルフの石川遼もパットを決めて派手なガッツポーズを見せた。それら数え切れないスポーツ選手の行為を、我々は何の違和感もなく受け入れてきた。 では、大相撲でガッツポーズが強く非難されるのはどうしてか。そう考えていて思い浮かんだのは剣道である。剣道ではガッツポーズが禁止されており、一本が取り消されるケースもある。試合が終われば、床に両手をついて相手に一礼する。勝者は「自分の力を引き出してくれた」、敗者は「弱点を教えてくれた」と相手にともに感謝する。「相手なくして自分の上達はない」という礼の心が重んじられているからだ。相撲も武道であり、そういう視点から見れば、土俵上での所作が他のスポーツ以上に重視されるのもうなずける。 武道であっても柔道ではガッツポーズが当たり前の風潮である。こちらは国際的スポーツ「JUDO」として発展を続けることで問題視されなくなってきたといえる。欧米で始められた近代スポーツにも、相手を敬うフェアプレーの精神は根付いているが、遊びから発展してきただけに喜びの表現には寛容である。一方、武士道や武術から発展した日本の武道は礼の要素がより強い。 「今、なぜ武道か」(日本武道館発行)という著書がある武道研究家の福島大・中村民雄教授を昨年取材した。中村教授は武道とスポーツの違いをこう説明した。 「欧米生まれの近代スポーツは、数値化した結果に最大の価値を置く。サッカーならば、オウンゴールであっても華麗なゴールであっても1点は1点です。それに対し武道は過程に最大の価値を認める。柔道や剣道の選手が『一本を目指す』というのは、そういう考えに基づいている。技を仕掛けてから完了するまでの一連の動作を評価して『一本』と判定するわけです」 中村教授の言うように、「過程重視」の考えには試合前後の礼も含まれる。相撲で言えば、土俵に上がってから下りるまでの一連の動作が重んじられ、横綱はそのお手本を見せるべき存在として見られている。しかし、朝青龍の土俵での振る舞いを見ていると、外国人と日本人の価値観の違い、スポーツと武道の思想の違いが浮かび上がってくる。 2012年度からは中学校1、2年生の保健体育の授業で武道が必修化される。朝青龍をめぐる数々のトラブルは、武道という文化を考える上で格好の題材になるのではないか。 |