米ニューヨークで始まった格差社会に抗議するデモは世界的な広がりを見せてきた。東京でも15日に六本木などで「OCCUPY TOKYO(東京を占拠せよ)」と書かれたプラカードを持った人たちのデモがあった。ロイター電によれば、これ以外にも英国やドイツ、イタリア、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンなどで次々と反格差デモが起き、暴徒化している地域もある。
欧米を中心に世界的不況が続き、各国で失業者が増えている。こうした状況に不満を募らせる人々がインターネットを通じてつながり、行動を起こしている構図は共通だ。その背景にある「格差社会」を考えれば、スポーツも無関係とはいえない。
最も現実的に影響が予想されるのは、来年のロンドン五輪だろう。今年8月にはロンドンを中心に英国各地で暴動が起きており、世界の注目を集める華やかな「祭典」で、再びそのエネルギーに火がつく可能性は否定できない。
日本国内でも格差に対する不満がくすぶっている。それが如実に表れるのは、スポーツも含めた子どもたちの教育環境ではないか。
進研ゼミなどで知られる「ベネッセ」の教育開発センターが行った2009年の調査の中に、格差社会とスポーツの関係を示す分析結果がある。3歳〜17歳の子どもを持つ母親を対象に行ったもので、「スポーツにかかる費用の負担は重くのしかかる」という項目にデータが記されている。
「活動にかかる費用の負担が重い」という設問に対し、年収400万円未満の家庭では、「とてもそう思う」(27・2%)、「まあそう思う」(48・1%)と、スポーツ活動に経済的負担に感じている家庭が計75・3%にものぼる。一方、年収800万円以上の場合は「とてもそう思う」(10・5%)、「まあそう思う」(38・6%)の計49・1%と5割を切る。
こうした数字から容易に推測できるのは、スポーツをできる家庭とそうでない家庭の二極化がじわじわと広がっているということだ。「スポーツクラブなどに行かせないと、思う存分スポーツがやれない環境になってきている」(7歳男子の母親)、「昔は学校の部活動で出来た事が今はスポーツ少年団になっているので、親の都合でやらせてあげられなくて残念」(7歳女子の母親)。これは笹川スポーツ財団が昨年発表した「4〜9歳のスポーツライフに関する調査報告書」に掲載されたコメントだ。
遊ぶ場が少なくなり、学校など公共的な場でのスポーツ環境も減ってきて、費用がかかる習い事か、親がかりの地域クラブでしかスポーツが出来なくなっている。社会の二極化がさらに進んでいけば、いずれスポーツは裕福な人々だけのものになってしまうかもしれない。
世界的なうねりの背後で何が動いているのか。それを身近な視点から考えていく必要がある。スポーツは社会の不公正を映す鏡にもなる。
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