都市対抗野球の予選が各地で行われている。その中でも全国有数の激戦区をいわれるのが神奈川だ。東芝、新日本石油ENEOS、日産自動車という名門チームに、今年はもう一つの強豪が加わった。昨年は本社の不祥事で出場を辞退した三菱ふそう川崎である。
三菱ふそう川崎は、一昨年の本大会で2度目の全国制覇を果たした。昨年も当然、優勝候補の一角に挙げられるはずだった。ところが、同社製トラックのタイヤが外れるなどの一連の不祥事で、会社側は野球部に都市対抗の出場辞退と年度いっぱいの対外試合の自粛を告げた。選手たちは秋まで練習さえできなかった。 14日の横浜スタジアム。2大会ぶりに復帰した予選1回戦の相手は、三菱重工横浜硬式野球クラブだった。かつては同じ三菱グループの企業チームだったが、5年前からクラブ化された。さまざまな思いを抱いた両チームの対戦だ。試合は白熱した展開となり、延長十二回、三菱ふそう川崎がサヨナラ勝ちを収めた。 代打で出てサヨナラ打を放ったのは、三垣勝巳という25歳の控え選手だった。昨年の今ごろ、彼は大阪の販売会社へ行くよう命じられた。リコール対象車の点検関連業務に就くためだ。 「野球部員は全国各地の販売会社に散ったんです。ぼくはリコール車を点検するための事務関係での仕事でした。中にはリコール車をお客さんのところへ取りに行ったり、簡単な点検作業に就く者もいました。ぼくの行った販売会社は大阪ドームの近くにあったので、野球をやれないのは悔しかったですね」 確かに競技生活にブランクができたのはマイナスだっただろう。しかし、彼らが野球を離れて体験したのは、企業とスポーツの距離だったのかも知れない。危機にある会社で、一般社員とともに汗をかいた選手たちだ。東京ドームに出場すれば、全国の販売会社からまさに社員総出の応援になるに違いない。 企業チームの休廃部は、もちろん会社の経費節減、リストラ策の一環である。ただ、もう一つ加えるならば、社員とスポーツ部員が乖離してしまったことにも一因があるのではないかと思われる。 スポーツ部員が社業を離れて競技に専念することは、当然ながら選手のレベルアップにはつながっただろう。しかし、企業内におけるスポーツ部の存在感を低下させた点も否めない。「社員の士気高揚」という企業スポーツの価値観は忘れ去られ、単なる「広告宣伝媒体」と考えられるようになった。だから、会社も選手に突如、チームの廃部を宣告できるのだろう。 三菱ふそう川崎の部員たちは、家庭の事情で1人が退部しただけ。31人がもう一度体を作り直し、ユニホームを着てグラウンドに戻ってきた。垣野多鶴監督は「去年のことは選手にはあまり言わないんです。言わなくてもみんな分かってますよ。この予選がいかに大切かって。まずは初戦に勝ったので、落ち着いて野球がやれます」としんみり言った。復活への第一歩。戦いはまだ始まったばかりだ。 |