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vol.343-2(2007年3月16日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
日本学生野球憲章を改めて読み返す

 将来有望な若者が、テレビカメラの前で自らの「罪」をわびている。東京ガスの木村雄太投手は「家計が苦しかった」といい、早大の清水勝仁選手は「親孝行がしたかった。お金をかけずに大学に行けると思った」と、西武からの金銭供与を受けた事実を認めている。一部には同情論があるだろう。しかし、神妙な顔つきで語る言葉を聞いていても、彼らが被害者だという気はしない。

 学生野球の憲法といえる「日本学生野球憲章」を改めて読み返した。西武球団と木村、清水両選手の間で結ばれた闇の契約は、第十三条のAに明らかに違反している。

 「選手又は部員は、いかなる名義によるものであっても、職業野球団その他のものから、これらとの入団、雇傭その他の契約により、又はその締結を条件として契約金、若しくはこれに準ずるものの前渡し、その他の金品の支給、若しくは貸与を受け、又はその他の利益を受けることができない」

 この第十三条は、プロからの供与を禁じているだけではない。「他からの」学費や生活費、金品の授受を厳格に禁じており、野球を理由とした学費免除もこの項に該当する。

 憲章をもう一度読んでみる気になったのは、先日、日本高校野球連盟のベテラン役員から「君はなんで日本学生野球憲章ができたか知っているか」と聞かれたからだ。私はその理由を知っていたので、「野球統制令ですね」と答えた。

 野球統制令は戦前の1932年、当時の文部省によって発令された。まだプロなどなく、東京六大学と春夏の中等学校野球が全盛の時代だった。当時、学生野球界の人気沸騰によって、プロまがいの興行試合をする学校が現れるなど不祥事が相次いだ。そこで文部省が学生野球の健全化を理由に介入してきたのだった。そうして学生野球は国の統制下に置かれ、戦時には甲子園大会を含むあらゆる大会の中止を命じられた。

 その反省が1950年の日本学生野球憲章の制定につながった。根底には、自らを律することで国家や他の組織に支配されない独立した学生野球界を育てていこう、という理念があった。憲章の前文にはこうある。

 「元来野球はスポーツとしてそれ自身意味と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアな精神を体得する事、幸運にも驕らず悲運にも屈せぬ明朗強靱な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強健な身体を鍛錬する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない」

 学生野球の選手や指導者がこんなものを読む機会は少ないに違いない。だが、ここはもう一度、原点となる「理念」を読み返すべきだ。プロ側がドラフト制度を変えたところで全てが解決するわけではない。学生野球界は決して被害者ではないのだ。

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