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vol.464-2(2009年10月9日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

五輪招致レースの流れは変わった

 2016年の五輪開催地がリオデジャネイロに決まってから3日後。夕刊番のデスクに入っていた私は、通信社から相次いで配信された記事を読みながら「やはり、流れは変わったのか」という気にさせられた。

 コペンハーゲン発で共同通信が流してきたのは、カタール・オリンピック委員会の専務理事が20年五輪開催地にドーハが再び立候補することを表明した、という記事だった。ドーハは16年五輪にも立候補しながら、気温の高さなどが問題視され、第1次選考で落選した。国際オリンピック委員会(IOC)は夏季五輪の開催期間を「7月15日から8月31日」と定めているが、カタールはIOCにこの規定の変更を求める考えだという。

 ドーハの再挑戦は、ある程度予想されたことだ。世界の富が集まる中東地域の資金力は、サッカーやF1の世界でも大きな影響力を発揮し始めている。五輪開催にも意欲を見せるのは当然のことだろう。

 むしろ驚いたのは、次に流れてきた記事だった。24年五輪の開催にインドのニューデリーが立候補する意志を持っているという話だ。BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)という主要新興4カ国の中で、中国は北京五輪を成功させ、ロシアは14年冬季五輪をソチで開く。そして、今回のリオ。そんな中、インドで五輪というイメージはまだ沸いてこないが、実際には過去2回アジア大会を開き、来年10月には英連邦大会(コモンウェルス・ゲームズ)を開催する。着々と国際競技会の実績を積み、将来は五輪も目指している様子だ。

 いずれの国も経済発展がめざましく、勢いづいている。これら4カ国だけではない。アフリカ勢もリオでの五輪開催に刺激されている。来年のサッカー・ワールドカップを開く南アフリカでは、ケープタウンが20年五輪招致を目指しているという。将来的にアフリカ諸国が発展すれば、エジプトなども手を挙げるかも知れない。

 ロンドンに決まった12年の五輪招致レースではパリ、ニューヨーク、モスクワ、マドリードといった各国の首都クラスが顔を並べ、もはや五輪は世界的大都市でしか開催できなくなったように思われた。いずれも五輪を開催する明確な理念が見えにくい都市であり、今回の東京もこれらの大都市と同じ流れに乗った。いわば、成熟した国がもう一度、五輪開催によって国に活力を取り戻そうというわけだ。だから、東京が掲げた「環境」や「コンパクトな五輪」というテーマは訴える力を欠いた。

 新興国の勢いは、世界的大都市の安定した財政や綿密な開催計画を退け、IOC委員の圧倒的支持を得た。開催が決まった直後のコパカバーナビーチの熱狂が、それを象徴している。

 東京は簡単に20年五輪に再挑戦するとは言い出せないはずだ。150億円もの税金を使った招致活動の「決算」は都議会で厳しく追求されるだろう。石原慎太郎都知事は4選不出馬を表明しており、その任期も11年で終わる。さらに18年冬季五輪に韓国の平昌が立候補する予定で、平昌に決まれば、20年夏季五輪のアジア開催は大きく遠のく。そして、何より五輪招致の流れが変わったことを、関係者はすでに気づいているのではないか。

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