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vol.346-1(2007年4月3日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
ドーピング考

 また、ドーピング(禁止薬物使用)問題がくすぶり始めた。昨秋引退した水泳のスーパースター、イアン・ソープさん(豪・24)に、疑惑の目が向けられている。昨年5月に受けたドーピング検査で、筋肉増強剤テストステロンなど2種類の禁止薬物に「異常な数値」を示した、と仏レキップ紙が伝えた。

 「オーストラリアの反ドーピング機関(ASADA)はソープ氏の関係者を聴取し、さらに検体を分析した結果、科学的根拠に欠けるという理由で、この問題を取り扱わなかった。だが、異常値を示す結果の報告を受けたFINA(国際水連)は、検体から発見された物質を詳細に分析する必要があると判断。ASADAの決定を再考するよう、昨年12月にスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴した」(日刊スポーツ4月1日付)

 「ソープ氏は、検査した豪州反ドーピング機関(ASADA)から『ドーピング違反ではない』と告げられていると主張。通常の検査手続きの途中であるとし、今後もASADAに情報提供などの協力をするという。『異常値が出る可能性がある生理学的、病理学的な理由はたくさんある』とも話したが、明確な根拠については語らなかった」(朝日新聞4月2日付)

 歯切れの悪い、奥歯にもののはさまったような記事である。やがて疑惑は晴れるのか、あいまいなまま放置され、事実がもみ消されるのか、先行きははっきりしない。

 それにしても、ドーピング疑惑はなぜ、超一流選手にも出てくるのだろうか。あの世界的100mランナーのベン・ジョンソンをはじめ、大リーグのホームラン記録を塗り変えたバリー・ボンズ、その前のホームラン王・マグワイア、女子短距離ランナーのフローレンス・ジョイナー、またマリオン・ジョーンズ選手など。これは今や薬物がスポーツ界では日常茶飯事になっていて、有名選手だからこそ表面化した、ということにすぎないのか、有名選手ほど医学的コーチなどの指導の下に、巧妙に薬物を使っているということなのか。

 薬はふつう、病気になったり怪我をしたとき、回復するために使う。身体上のマイナスからゼロ(普通の状態)へ向う治療剤だが、ドーピングは、ゼロからプラスへの過程において使われる。薬の力をかりて身体機能をさらに高めよう、というものだ。副作用の害のほかに、スポーツでもっとも大切にされる公平、公正、フェアということに反するのだ。先にあげた選手など、薬物を使用しなくても、十分大活躍できる才能に恵まれていると思うのだが。

 優勝、世界記録といった栄光を一度味わうと、それは忘れられない。次から次へ、味わいたくなるのは分からないでもない。とくにスポーツの世界は、いつ、どんな才能が飛び出して、栄光の座を奪われないともかぎらない。そういう恐怖感が、体の深層にあるのだろう。安心して競争し、勝負して、栄光の座を維持したい。そのために役立つ薬物を使いたくなる。身体機能向上のためだけでなく、心理的にも安心感をもたせるためにも、薬物は役立つのかもしれない。トップの座はきびしく、孤独なものだろう。想像もつかないほどの孤独感にさいなまれることもあるだろう。かなわぬときに頼むのは神か、薬物か、ということになるのかもしれない。

 今は亡い作家・色川武大さんはかつて、人生を相撲に重ねあわせて、15戦全勝なんて面白くも何ともない、人生的な味わいは8勝7敗、9勝6敗のあたりにある、と喝破した。スポーツは、それとは反対の世界なのか。

 超トップアスリートとは、15戦全勝でなければおさまらない世界の住人である。1敗も許されないとなれば、神だって仏だって薬だって、何だって使ってしまおう、と考えてもおかしくない。薬物問題はきわめて心理的な要因がからんでいるように思えてならない。

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