パイレーツのオールド・ルーキー桑田真澄投手が、日本時間6月11日、対ヤンキース戦でデビューした。6−8と2点リードされた5回裏、3番手としてマウンドに上がり、この回は3人で抑えた。スピードはせいぜい140キロだが、ツーシーム、スライダー、カットボール、チェンジアップなど多彩なボールを低めに集め、巨人21年173勝の力を見せた。6回は3番アブレイユを四球で歩かせてリズムが狂ったか、好調の4番A・ロドリゲスに初球のやや甘いスライダーを、ライトスタンドに軽々と放り込まれた。 それは悔しいことにはちがいないが、よくぞここまでこれた、という喜びの方が大きかったであろう。私もうれしさの方が大きかった。3月のオープン戦で球審と激突、右足靭帯を断裂という重傷を負った。もはや、桑田投手の運もここまでかと思われたが、不屈の闘志で奇跡的に回復、メジャー・デビューの日を迎えた。まさに信念の人、不死鳥である。 元同僚の松井秀喜選手との対戦もあった。結果は初球ストライクのあと、4つボールが続いて四球だったが、これもデビューに華をそえた。 この日、スタンドを埋めた54,140人の観客に、小柄な39歳、日本人投手はどう映っただろうか。前日、44歳で現役復帰を果したヤンキースのクレメンス投手の力投を見たファンに、何かを感じさせたであろうか。私には、いつでも「野球の神様」を口にする桑田投手のピッチングから、勝敗を越えた大きな喜びのようなものが伝わってきた。 桑田は巨人に入団した当初から、大リーグを夢見ていた。その日のために、英語もしっかり勉強していた。アメリカから巨人にやってきたガリクソン投手と親友になって、多くのことを学び、ますます大リーグへの思いをつのらせていた。ガリクソンは糖尿病で、自分でインスリン注射をしながら試合にのぞんでいた。野球選手として、その徹底した心身の自己管理法に大きな影響をうけている。ガリクソンをひそかにお手本として、いつかメジャーのマウンドに立つ、という気持が、桑田投手をさらに成長させたにちがいない。 しかし、時期尚早だった。野茂投手がこじあけるまで、日本人選手には大リーグの門はかたく閉ざされたままだった。球界のリーダーだった巨人そのものも、大きな壁であったにちがいない。 桑田投手の大リーグ挑戦のことを思うと、私は必ず「早春譜」という歌を思い出す。「春は名のみの風の寒さや・・・」「・・・時にあらずと声もたてず」。それでも、ついに遅い春が巡ってきた。いくつものハンディを乗り越えて、ついにメジャーのマウンドに立った。万感の思いがあったであろう。 テレビで見ている私にも、それに似た思いがあった。ロドリゲスのホームランさえ、桑田投手への祝砲か花火のような錯覚をもった。「野球の神様」はたしかに存在する、と思いたくなる、桑田デビューの日だった。 |