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vol.360-1(2007年7月18日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
オシムの気持

 オシム監督のインタビューに、取材陣はてこずっているように見える。サッカーのアジア杯の初戦、対カタール戦で1−1で日本が引き分けたとき、試合後のTVインタビューでは、アナウンサーの質問をきびしくはねつけ、にらみつけるようにして短かく終った。

 一筋縄ではいかない哲学をもち、ユニークな表現力をもつ監督だ。それは、木村元彦さんの快著「オシムの言葉」を読んでもよくわかる。取材はさぞかし大変だろう、と思わせるものがある。取材者に同情する。

 これまで、テレビでの会見シーンをいくつか見たが、そのたびに感じるのは、オシム監督は質問者がそれなりの意見をもっているかどうかを、鋭い目で見透かしているように思えることだ。常套的な言葉による質問、決まりきった質問は容赦なくはねつけたり、切り返したりする。そんな質問をうけると、うんざりしたような、軽蔑したような表情を露骨にみせる。一つの質問に監督のコメントが出る、それにかぶせて、さらに二の矢、三の矢を出せるだけのタメのある質問者を待っているかのようだ。だいたい、日本人のインタビューは一の矢だけで終り、あっさり次に移っていく。執拗に追求し、重層的に積み上げていく質問の仕方に、取材陣は慣れていない。単発的な質問でコト足れり、としてしまう。

 サッカーはきわめて得点の少ないスポーツだ。4〜5点入ると、どうなったのか、と思うほどだ。ハットトリックがもてはやされるのも、得点が少ないスポーツゆえだろう。それだけに、得点シーンが格別なものとして話題になる。日本チームのFWの決定力不足、がハンで押したように、毎度、話題になるのもわかる。点取り屋がいつまでたっても点を取らなければ、話題にしやすい。アジア杯の高原の活躍は、久しぶりのことだ。点を取るFWを久しぶりに見た。

 だから、そこに質問も集中するのだが、オシム監督は性急にFWだけを見ずに、11人全体の動きをよく見た上で、自分の考えを持って質問することを求めているのではないか。

 いわば、得点シーンは氷山の一角、水面下に隠れた大きな氷の塊の部分に、もっと目を向けてほしい、そこを見て、試合を分析し、監督や選手に質問するのが、プロの取材者ではないか、とオシム監督は思っているにちがいない。取材者にとっては、まことに手ごわい取材対象である。試合をよく観察し、自分の感想をキチンともっていなければ、うかうか並の質問をすると、たちどころに切り返される。なかなかコワイ監督のようだ。

 オシム監督が日本代表の監督に就任したとき「日本流のサッカー」を追求したい、という主旨の発言をした。選手は日本人だから、あるがままの姿で日本流サッカーができる、と考える人はいないだろう。サッカーという世界共通言語、普遍的なルールの下で行われるスポーツの中に「日本流」「日本化」を意識するとはどういうことなのか。それを選手に考えさせるのが、意識改革の第一歩なのだろう。世界標準でありながら、日本人である。日本人の個性を出す。そのことをサッカーの中でどう血肉化していくのか。中国から漢字を輸入して、いつしかカタカナやひらがなをつくり出した日本人の独創力を、サッカーの中でも求めているのではないのか。オシム監督の「日本流」への期待はそこにある。

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