大関昇進を伝えにきた日本相撲協会の使者に対して、琴光喜が口にした四字熟語は「力戦奮闘」だった。わかりやすい言葉でよかった。フシャクシンミョウ(不惜身命)などという、聞いただけではわからない四字熟語より、親しみのある言葉でよい。
大関昇進が31歳3ヶ月と、記録的に遅いといわれるが、超高齢化時代に必要なのは「早熟」ではなく「晩成」である。ゆっくり時間をかけて、自然体に近いかたちで、熟していくイメージをもつことが、今の時代にもっとも必要なことである。自分の体の声をしっかり聞いて鍛えていく。ほんものの「大器晩成」の姿をみることは、スポーツファンの大きな楽しみであり、そのことが社会への強いインパクトになるだろう。琴光喜に期待することのひとつだ。プロ野球の工藤、桑田、斎藤投手のような存在になってほしい。
もうひとつ気になっているのは、対朝青龍戦である。同じ力士に27連敗というのは、あまり聞いたことがない。蛇に睨まれた蛙、といったところだ。他の力士との対戦では、力強い相撲がとれるのに、朝青龍の前に出ると緊張でコチコチになってしまうようだ。
琴光喜はこれまで何度も、吊り落しのような豪快な投げ技をくらっている。土俵中央でまさに目よりも高くもち上げられ、そのままドシンと裏返しにされて背中から落ちる。昔、初代若乃花が得意とした仏壇返しの大技をほうふつとさせる。それほど力が違うとは思われないのに、こんな大技をくらってしまうのは、多分に精神的なものが影響しているのだろう。悪い記憶がつみ重なって、ガンジガラメになってしまう。上半身に力が入れば入るほど、逆に大技をくいやすくなるような気がする。恥ずかしいあの大技だけはくいたくない、と用心し、慎重になってガチガチの守りの姿勢に入れば入るほど、体から柔らかさが失われて、軽く持ち上げられてしまう。朝青龍の気迫に呑まれる、というより、朝青龍の技のリズムに、琴光喜の呼吸がスーッと合ってしまうように見える。
連敗を止めるには猛稽古よりも、朝青龍とは違う呼吸法を土俵上で会得して、リズムの乱れを誘うのがいいのではないか。そんな呼吸法があるかどうか、私にはわからないが、何とか相手のリズムを崩す方法を開発してみせてほしいものだ。
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