桑田真澄投手がパイレーツを解雇された、というニュースを聞いたとき、人一倍粘り強い男も、ついに刀折れ、矢尽きたか、と思い「メジャーリーグの諸行無常」という言葉がフッと口をついて出た。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり・・・の諸行無常である。大リーグはアメリカン・ドリームの世界だが、きびしい競争に敗れたら、情容赦なく降格、解雇。頼るのは自分の実力だけだ。どんな名選手の過去の実績があろうとも、現在十全に機能しなければ、ドライに切り捨てられる。大リーグを目指す日本人選手は、みんなその覚悟はできているだろう。ファンも大よそのところは、そのきびしさを分かっている。

　それにしても、3月のオープン戦で球審と激突して左足首靭帯断裂という大怪我をし、それを克服してマイナーからメジャーへ、やっと6月にデビュー。敗戦処理的な起用のされ方ではあったが、あこがれのメジャーのマウンドを踏んだ桑田投手が、わずか2ヶ月であっさり解雇されるとは―。0勝1敗、防御率9.43の数字では、実力者揃いの世界で生き残るのはむずかしいだろう、と頭では分かるのだが、これまでいくつもの不運や怪我をひとつひとつ乗り越えて「野球の神様」を信じつづけた桑田投手の解雇には、一抹の淋しさを覚えるのだ。井川投手の降格、トレード話とは少しちがう。

　しかし、この事態に直面した桑田投手は日本報道陣に、次のように語っている。

　「悔いは何もないんでね。精いっぱいやれた。たくさんいい経験もさせていただいたんで、本当によかったなと。球場に『ありがとうございました』と言いました」「（今後の去就については）日本に帰ってゆっくり考えたいなと思います」「自分でも燃え尽きる寸前まで頑張ったんでね。足首の治療に専念したいと思います」（8月17日付日刊スポーツ）

　これらの言葉を読んで、私は「メジャーリーグの諸行無常」と、あらためて思った。桑田投手ならではの言葉だ。人の世ははかないもの、という表面的な無常ではない。諸行無常とは「世界にあるすべてのものは、常に変転して移り変わり、不変のものはない」ということだと国語辞典にあるが、まさに万物は流転する、という自然、人の世の営み、人生の大道を歩いてみせたのが桑田投手、という感じなのである。

　1985年秋、早大進学を決めながら、ドラフトでの巨人指名で、盟友清原の願いを断つかたちで巨人入団、巨人で173勝をあげたのは一見、順風満帆の野球人生に思えるが、バブル経済時代には“投げる不動産屋”と言われて情報化時代のゴシップスモッグをまともにくらい、身内の借金をかぶり、また、野球人生を左右しかねない右肘の大怪我で1995年のシーズンを棒に振ったこともあった。マウンドでボールに話しかけたり、古武術を投法に取り入れたり、あらゆる工夫を重ねた。「3拍子揃った選手が一流といわれるが、ぼくは5拍子揃った選手になりたい」と言ったり、野球の欲はまさに大欲の人といえた。桑田投手は自分の置かれたあらゆる局面で、怪我というマイナス局面でさえ、さまざまな工夫をしてみせてくれる、希有なプレーヤーだった。現役生活がつづくかぎり、彼は年齢に応じた人生の工夫をしつづけるだろう、と楽しみにしていたから、今回、突然（といっても、最後の試合で滅多打ちにあい、火だるまとなったのだから無理もないが）解雇となり、現役投手としての工夫をもうこれから見ることができなくなって、私は「諸行無常」と感じた。もちろん、珍しく高温高圧、燃焼度の高いズッシリとした「諸行無常」に出会えた喜びもないではないが。

　これも日刊スポーツ紙の記事だが「荷物整理の際、野球をする長男とともにグラウンドに立って、メジャーの球場を見せたという。『芝生はどんな感じだとか、ここでプレーするにはどれだけの努力が必要だとかね、まあ父親の役目ですよね』選手としてのメジャー登板の夢をかなえた場所を息子に見せ、夢を託したのかもしれない」とあった。

　この息子がメジャー挑戦を迷っていた時の桑田の背中を押したことが、39歳という高齢（伝説のサッチェル・ペイジ＝リロイ・ロバート・ペイジ＝の42歳、ともう１人の41歳につぐ史上3位の最年長記録）でのメジャーデビューのチャレンジに踏み切らせた。少子高齢化時代はこれまでのように、親孝行だけではやっていけない、子孝行だけでもうまくいかない。親孝行と子孝行がセットになって、それも2世代間だけでなく、できれば3世代間にもわたるかたちになることが必要だ。桑田投手は野球を通して、そんなことまで教えてくれたように思う。