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vol.367-1(2007年8月28日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
広陵・野村投手のあの1球

 夏の甲子園高校野球は、佐賀北のこれ以上は考えられない劇的大逆転の優勝で幕を閉じた。翌8月23日付日刊スポーツで、敗れた広陵の中井哲之監督(45)が怒りをぶちまけていた。「ストライク・ボールで、あれはないだろうというのが何球もあった。もう真ん中しか投げられない。少しひどすぎるんじゃないか。負けた気がしない」「子どもたちは命を賭けてやっている。審判の権限が強すぎる。高野連は考えてほしい。これで辞めろと言われたら監督を辞める」

 これに対して桂等球審は「低いと思った。ミットが下から上に動いていた」とコメント。高野連の田名部和裕参事は「言ってはいけない、言ってもどうにもならないコメントがある。全国大会の審判は研さんを積んでいる。どんな名審判でも、納得できる試合はひとつあるかどうかという。報告会で注意します」。

 問題のシーンは、広陵が4-0とリードした8回裏、佐賀北が1死満塁と詰めよって、打者井出はボールカウント1-3となった。広陵のエース野村祐輔投手は外角低めに渾身のストレート。私はテレビで見ていて、瞬間、ストライク、と思った。球審の右手が動きかけたように見えたが、判定はボール、結局押し出しの四球となった。その直後に満塁ホームランがとび出して、大逆転となったのだから、あの球がストライクで2-3となっていたら、どんな結果になったかわからない。スポーツに「たら、れば」は禁物ではあるが。

 私は46年前、昭和36年秋の日本シリーズ、巨人−南海の試合を思い出した。巨人の2勝1敗で迎えた第4戦、後楽園球場のバックネット裏で、当時社会党書記長の江田三郎さん(今度参議院議長になった民主党江田五月さんの父・故人)と並んでこの試合を見た。当時、週刊文春で「この人と1週間」という企画が続いており、私はそのとき江田さんに1週間、密着取材をつづけていた。江田さんは熱心な南海ファンだった。

 試合は手に汗にぎる好ゲームとなり、二転三転、9回表に南海の広瀬が逆転2ランをレフトスタンドに放った。9回裏、南海は3人目の投手として祓川(はらいかわ)を送ったが、最初の打者に死球を与えた。鶴岡監督はすぐ、祓川をひっこめ、切り札スタンカ投手を送り出した。(エース杉浦は故障)スタンカは第1戦を完封勝ちしている。好調スタンカは簡単に、続く2人の打者を打ちとった。(三振、一塁ゴロ)2死走者一塁で、代打藤尾が登場したが、スタンカの重い速球に詰まって、平凡な一塁フライ。万事休す、と思った瞬間、ファースト寺田が何とポロリと落球。続く長嶋は三塁内野安打で、2死満塁、ハワイから来たエンディ宮本がボックスに入った。スタンカはたちまち2-1と追い込んだ。第4球、決め球はスピード豊かな外角低めのフォークだった。宮本は茫然と見送った。ストライクで三振、ゲームセットと見えたが、円城寺球審は「ボール!」とコール。スタンカはマウンドを駆けおり、まっ赤になって球審に詰めよった。両手を後ろに組んで、体で円城寺をグイグイ押した。もちろん判定は変わらない。次の第5球、外角速球、4球目より心持ち高めの球を宮本はライト前にライナーではじき返した。走者2人がかえり、逆転サヨナラとなった。このときスタンカは、ライトからのバックホームのカバーに、野村捕手の後ろに走ってきたが、行きがけの駄賃とばかり、円城寺球審に猛烈な体当たりをくらわせ、吹っ飛ばした。円城寺は転んだまま、2人のランナーのホームインを見ることになった。のちに「円城寺あれがボールか秋の空」と言われたものだ。

 江田書記長は「こんなひどい試合は見たことがない」とカンカンになって怒り、すぐ席を立って帰ってしまった。私も後を追った。こんな劇的な試合を見たのは初めてだった。今もそのシーンは鮮明に甦ってくる。スポーツは記憶によって、さらに豊穣さを増す。広陵・野村投手の1球が、46年前のスタンカの1球を思い出させてくれた。デジャビュ(既視感)の幸福である。スタンカの1球とともに、広陵の野村の1球も、長く忘れないだろう。

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