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vol.386-1(2008年1月28日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
福士加代子選手のプロ魂

 長居陸上競技場へ帰ってきて、ゴール直前でよろめき、2度倒れ、ふらふらと立ち上がってゴールした福士加代子選手の姿を見ながら、彼女は天性のエンターティナー、という言い方が不謹慎というなら、人一倍の公僕精神の持ち主だ、と感心した。無私のサービス精神を要求されるのが公僕である。長嶋茂雄さんがそうであったように、福士選手もその系統のようだ。

 前半、快調に飛ばして2位グループを一時は600mも引きはなし、天馬空を行くが如く、ひょっとしてぶっちぎりで優勝かと思わせたが、34kmすぎで突如失速、後続ランナーに次々抜かれ、結果は19位(2時間40分54秒)。最後は殆ど歩くような状態になっていた。ふつうのランナーなら、多分途中棄権したはずだ。永山監督も伴走しながら、いつ走りを辞めてもいい、と言ったようだが、彼女は最後まで「頭の中がまっ白になり、まったく記憶がない」状態で走り通した。

 ファンという不特定多数の貪欲な消費者、プロ競技者から最大の快楽を引き出し、消費しつくすファンのために、颯爽とした姿も、死ぬのではないかと思わせるラストの姿も、あますところなくさらけ出すプロ意識は、恐るべきサービス精神、“公僕精神”だと感じた。

 「『未知の距離で、あり得ないことが起きてしまった』と永山監督は言うが、本当にあり得ないことか。『ペース設定は福士のリズムを考えた』というのは分かる。ただ初マラソンに向けての調整期間が1ヶ月強と通常の3分の1で、練習での最長距離も約30キロ。無謀だった感は否めない。『もっと綿密な計画が必要だと思った』と永山監督。後の祭りである」(1月28日付朝日新聞)という批判は、正論であろう。42.195キロのマラソンは、そんなに甘いものではない、と言うのはその通りだろう。それでも、5000mや10000mで日本記録を連発した福士選手なら、ひょっとして常識破りの短期トレーニングで、あっさり勝ってしまうのではないか、と期待をもつ人が多かっただろう。私もその1人だった。しかし、現実はきびしかった。マラソンの常識はくつがえらなかった。人間の身体、自然の摂理のようなものが、この世にはあるのだ、それは少々の才能では越えられないのだ、と思った。

 福士選手がふらふらゴールするシーンを見て、私は1984年のロサンゼルス五輪を思い出した。このロス大会で、女子マラソンがはじめてオリンピックの正式種目になった。酷暑の中のマラソンレースで、競技場に入ってきたアンデルセン選手が、脱水症状で夢遊病者のようによろめきながらゴールしたシーンと重なった。このときの優勝者の名前は忘れたが、アンデルセン選手の名前は覚えている。2004年アテネ五輪で、ラドクリフ選手が途中で座り込んだシーンも思い出した。ずっと前、増田明美選手が同じ大阪国際女子マラソンで途中、倒れ込んだ姿もよみがえってきた。

 勝っても負けても、記憶に残る選手が、ほんとうのプロ選手だと、改めて思った。

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