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vol.466-1(2009年10月28日発行)

早瀬 利之 /作家

日本オープン、小田龍一逆転Vの影に
所属コース会長の「カツ」と「父親の病気」あり

 今年の日本オープンは久しぶりの名勝負だった。
ジャンボ尾崎が、イップス(精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害)にかかり、最終72ホールめのパーパットが打てずに二回も仕切り直した東京ゴルフ倶楽部大会以来の名勝負だった。いずれも埼玉県下のゴルフ場で開催されている。

 今年の日本オープンは、アメリカから帰国したばかりの十八歳の石川遼選手の史上最年少優勝がかかっていた。時差ボケとスイング改造下での戦いで、ショットは左右にブレていた。

 最終日の15番、16番はショットが左に曲がったりして、右に切られたピンをなめ切れず、スコアを伸ばせなかった。17番でバーディーを決めて6アンダーの首位タイに並び、プレーオフの権利をつかんだが、プレーオフ二回めで、ツアー未勝利の小田龍一選手(33歳)がバーディーパットを沈めて逆転優勝した。
 
 小田は学校教員の息子として鹿児島県の種子島に生まれ、ゴルフをやりたくて専修大学に進んだ。身長百八十センチ、九十キロの巨漢で、ロングヒッターの一人である。ところがパットが上達しなく予選落ちが続いた。

 昨年の秋、余りのダラしなさに、彼が所属する鹿児島高牧CCの三角皓三郎会長から「契約をカットする」とクビを宣告された。この件は、小田の「改心」を認め、半分の五百万円で妥結する。

 そのさなか、父親が脳溢血で倒れ、病床に伏した。この二つの事件が、いつもオフになると会員と遊ぶ癖をやめさせた。プロ入りして七年間、無勝である。彼も会員たちに「オフは打ち込む」ことを約束して、所属コースの練習場小屋に泊り込み、石川遼のスイングにヒントを得て打ち込んでいる。今季はそれでも五回の予選落ちがあるが、上位に喰い込んだ試合もあった。日本オープンは、弟をキャディーに使って挑戦し、勝ちとった。「カツ」はたまには必要である。

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