日本体育協会発行の「指導者のための スポーツジャーナル」(春号279号)で審判の座談会の司会をつとめた。出席者は柔道の天野安喜子さん、バスケットの平原勇次さん、フィギュア・スケートの吉岡伸彦さんの3人。最近は選手ばかりでなく、監督コーチなど指導者にも光が当てられるようになってきたが、審判は取り上げられることがまだまだ少ない。 野球などで審判にボールが当たっても、それはグラウンドの石ころに当たるのと同じだ、などという言い方をされる。あってなきが如き存在、とみなされるわけだ。同時に、かつて二出川延明(プロ野球)審判が「オレがルールブックだ!」と抗議をはねつけ、一喝したこともある。昔、私が取材したあるプロ野球の審判は「あるピッチャーがやる気のないようなボールを投げたら、たとえド真中の球であっても、私はボール!とコールします」と言った。「それぐらいの気合を入れないと、試合がピリッと締まらないんですよ」ということだった。納得できる話だ。それ以来、私は審判は筋書きのないドマラと言われるスポーツに、メリハリをつける大事な演出家だ、と思うようになった。公平な判定を下さなくてはならないが、審判の人生観、スポーツ観が必ず試合に作用、反映するはずだ、と思っている。審判によって試合が面白くなったり、つまらなくなったりすることもある。“黒衣”の審判は大事な存在である。 ところが、意外だったのは、審判の収入はきわめて少ない、ということだ。手弁当のボランティアというに近い。 平原「国内のトップリーグですと交通費プラス1万円ぐらいですけど、(北京)オリンピックでは滞在費ぐらいしか出ませんでした」 吉岡「国内でたとえば3日つぶして出かけて、交通費とホテル代はむこうが持つけど、それプラス1日3,000円とか5,000円とか。国際試合でも・・・1週間つぶして24,000円とか」 天野「ほとんどボランティアです。うわっ、今回はすごくいい大会、お金こんなにもらえてといっても1日10,000円とか、ふだんは3,000円ぐらいですね。審判では食べていけません」 と言いながらも、この3人は、やっぱりその競技が好きだから、とアッケラカンと笑いとばす。選手の躍動感を間近で感じられる喜び、その競技が少しでも良い方向へ、強くなってくれれば、そのために自分の力が少しでも役に立てば十分、と屈託がない。そこがスポーツのよさでもあろうが、それにしてももう少し審判の待遇をよくしてあげられないものだろうか。すべてがプロ化へなびいているとき、審判だけが手弁当、ボランティアで放置されていいものだろうか。審判の技術はプロ級を要求され、報酬はアマチュア級ボランティア、ではあまりにもチグハグな感じがする。正当な報酬とはどれくらいか。どこからひねり出すのか、むずかしいだろうが、そろそろ本気で考えてみるべき問題だと思う。 |